2012年5月10日(八段語録1678)
毎日の過ごし方
私とパートナーで歩んでいる先生は、三年半後の免許の書き換えである再選を意識しながら政治の世界で生きているのです。そのような気持が滲んでいるものですから、毎日が真剣勝負なのです。この先生は、人生の戦い方を心得たのです。その理由は、落選で味わう惨めさを余りにもリアルに味わったからでした。政治家が立場を失った時に、現実の状況は、余りにも個人と家庭を直撃するのです。そして、不安と葛藤の中でも、去年の選挙で返り咲いたのでした。その事を意識するゆえに、朝の修業にも真剣な姿勢で貫き続けているのです。
私と先生は、二人三脚なのです。もう運命共同体であり、毎日の修業を二人で、越えていこうとするのです。先生は、今の市民生活のあらゆる検討をして、より生活に密着した提案をし続けているのです。そこで始まっているのが、朝の修業という事なのです。市民の隣人になろうとする努力を重ねているのです。当然、立場があるのですから、そのような市民の隣人になろうとする努力などしなくても十分に職種をこなすことが出来るのです。
しかしながら、私との修業を、もう既に二年も続けている訳なのです。それも、嫌々ではなく、率先して歩み続けているのです。当然、私がリードし続けようとするのですが、たまには、サポートも受けてしまうのです。そのように、職種は違うのですが、人生の協力者としてなくてはならない存在になっているのです。私は、この歩みに誇りを持っているのです。確かに現実に行っていることは、僕のようです。それでも、歩みを止めようとはしないのです。
最低でも、三年後の免許書き換えまでは、続くわけです。それも毎日です。私との時間は朝の五時から八時半までですから、三時間半が協力者としての歩みという事になるのです。これか続かなければ、もちろん私との絆も消えてしまう訳なのです。その戦いを、弱音を見せずに共に参与しているという事を見ると、ある意味で武士であるという事なのだと納得しているのです。そして、目標があるわけですから、息の詰まるような日々ももろともにせずに戦い抜く覚悟ができているのです。
今までも、私と心を合わせてくれた人達がいました。そして、そのような人の中で、極真会館の運営に携わったり、師範として責任を持ってくれたりする人達が現れてきているという事を見ると、まんざら、日々を無駄に過ごしているのではないという、確信さえ生まれてくるのです。そしてこれからも、毎日を真剣勝負で過ごそうと決意をするのです。