2012年5月9日(八段語録1677)

分析


 私を分析してみると、一つの点で思うようにいかないと、一挙に移動してしまうようです。他の方法で勝利を勝ち取ればいいと思うのです。こうした目標転換をするという事は、処世訓としては、あまり役立つものではないと思うのです。多くの人が、辛抱強く、その立場を守りながら押ししすめようとするのです。私の勝利感を求めるさまは、まるで、うっかり者が、風邪に飛ばされた帽子を追いかけるようなものだと思うのです。
 かつて、高校時代は、早稲田大学の六角帽に憧れて入学を志したものでした。それも、わざわざ各駅止まりの、蒸気機関車に乗って上京したことを今でも思い出すのです。ところが、それ以上の何かを求めると、もう既に極真会館の門を叩いているのでした。空手道を追求しながらも、今度は、実際は、会社を立ち上げ、運営をしていたのです。二十代、三十代は、波乱万丈の人生を演出したのです。
 理由は、限界に挑戦していく姿勢が、私を取り巻いてしまうのです。目標そのものに、何か充実感を感じるのは、僅かな期間で、全うするか、それとも近づくと、もう既に新たな幸福の味を求めようとするのです。何かしら、私の好きな事を出来るだけ充実させていこうとするからなのかもしれないのです。他人が良いと思っているという価値観は余りないようなのです。私が行ってきた人生の様々な出来事は、それほど、その目標のレベルがどうであるとか、どんな性質のものなのかも関係がないのです。
 確かに、大学へ通ってみました。税理士の資格を取ろうと試みました。あらゆる事が、自分の方向性と合わないとなると、すぐさま方向転換してしまうようです。今回の専門学校の件も、自分を燃焼させる手段なのかもしれないのです。一か月近く過ぎて、もうクラスの中心的立場に立ち、全員を鼓舞し面倒を見る立場に立っているのです。驚いているのは、学校の方なのです。
 実に扱いにくいであろうと思うのですが、忍耐しているようです。そんな中で、この刺激が、連動して、極真会館の未来に役立つことが出来るように準備するだけなのかもしれないのです。授業は確かに面白いのです。ポイントを絞って、分かりやすく、何度も繰り返して教えようとしてくれます。そんな毎日に充実感を感じながら自分を分析している訳なのです。人生の充実感の為に、放浪する自分の姿に、健康と人柄の良さを貫こうとしているのです。この人柄の良さをさらに追及するような自分であると分析してしまうのでした。