2012年5月8日(八段語録1676)

専門学校


 学校の授業はライブを楽しんでいるようです。ただ聞いているという姿勢は私には向かないようです。偶然なの
ですが、今の席は中央の一番後ろなのです。ちょうど講師が、視線を飛ばすところなのです。その真只中に私の体
型が、椅子からはみ出さんばかりに存在している訳です。私の瞳は食い入るようです。その姿に怯えるように講師
がいると構図のようです。講義は実に楽しいのです。今まで人生で知らなかった用語が、飛び出してきます。人体
についてですから知らない事ばかりです。
 授業を聞くという事が、実に快感なのです。極真会館の師範の中で、このような姿勢を取る指導者はまれなので
す。極真会館ばかりでなく、社会的に見ても稀としか言いようがないのです。指導者が学生になっているのですか
ら前代未聞問う事になるわけです。それも、指導の最前線に立ちながら、次の未来を見つめていこうとするのです
から、世話がかかります。最初に戸惑うのは、専門学校の先生なのかもしれないのです。何故ならば、私の姿勢は
真剣勝負そのものなのです。テスト勉強をするためにとか、国家試験に受かる為に、授業に出ているのではないの
です。この授業に全てを懸けて勝負をしているのです。
 将来の備えには、当然なるのです。空手指導者が進むべき道を示そうとしている訳です。今までのように、極真
会館というブランドに胡坐を掻いているとするならば、時代と共に風化してしまうのです。k-1などのようなプ
ロ格闘技を目指そうとした分派もあります。私は、道場生を見世物の興業に出すつもりはないのです。それを目指
しても、商品価値がなくなれば捨てられるだけの話です。ローマのコロセウム状態にして、何が楽しいのでしょう
か。それよりも、知的好奇心を満足させ、将来の極真会館の指導者育成プログラムを模索しながら、学生で専門学
校に通う指導者がいても良いのです。
 専門学校で、講師と私の組手が始まっているのです。初心者の私は、最初はかなわないように見えるのですが、
伝えてくれた知識が、今度は私の武器になるのです。それも、人生において一番知りたかった人体という事ですの
で、期間が経てば、軍配は私に上がると確信している訳なのです。もう既に一か月近くなってきました。そろそろ
指導権を私が握ってしまう勢いなのです。