2012年5月1日(八段語録1669)
柔道(2)
柔道の意義と修業の目的について、考察してみるのです。加納治五郎は「柔道とは心身の力を最も有効に使用す
る道である」と定義しています。つまり柔道は望ましい人間形成を目指したもので「術」はあくまで手段であり「
道」を究めることが本体であるとして、終身、体育、勝負を上げているのです。
これを「精力善用」「自他共栄」という言葉で表現しているのです。その「精力善用」に関しては、心身の持つ
すべての力を最大限に生かして、社会の為に善い方向に用いることなのです。また「自他共栄」とは、相手に対し
敬い、感謝する事で、信頼し合い、助け合う心を育み、自分だけでなく他人と共に栄える世の中にするという事な
のです。
また、加納治五郎は、柔道の修業は、攻撃・防御の練習によって心身を鍛錬して強靭にし、精神の修養に努めて
人格の完成をはかり、社会に貢献する事であると示しています。「身体と精神を最も有効に働かせる」これが柔道
の根本原理で、この原理を技の上で生かしたのが「作り」と「掛け」の理論となるのです。
「作り」は相手の体を不安定にする「くずし」と、自分の体が技を施すのに最も良い位置と姿勢をとる「自分を
作る」ことから成り立っているのです。「掛け」は、この作られた一瞬に最後の決め手を施すことを言います。こ
の「作り」と「掛け」は受動の根本原理に従って技術原理という事になるのですが、実際は、人生を生きていく上
で重要な内容になってくるのです。
というのも、互いに「精力善用」「自他共栄」の根本原理に即した「作り」と「掛け」を争う間に、自然とこの
根本原理を理解し、体得して、社会全般の実生活に活かそうとするのです。また柔道の練習には、「形」と「乱取
」の二つがあります。「形」とはあらかじめ順序と方法を決めて練習する事です。「乱取」とは、自由な方法で練
習や試合をすることなのです。その注目するところは、「形」でありどんな時にどうするのが一番良いのかを理論
的に決めて体系化しているのです。
それで、何を言いたいのかというと、空手道と柔道は別物ではなく、武道という概念で調和できるものであり、
先人が築いた知恵を学ぼうとするのです。今年から、学校教育で武道が必修になったという事もあって、武道に対
しての見識を高めていきたいという事もあるのです。さらに、武道の指導者として柔道の指導もできなければなら
ないと思うようになっているのです。