2012年4月27日(八段語録1665)

思い出


 私は幼い日を、仙台の郊外、根白石鼬原の母の実家で過ごすことが多かったのです。学校の休みが始まると、すぐさま出かけるのです。ある日、裏山の竹を半分ぐらい切り倒したのです。ナタで倒すのに、小さい頃ですから面白かったのです。気が付けば、鬱蒼と茂っていた竹林が半分ぐらいになったのです。最初に気が付いたのは、私でした。大変な事になると、怒られるのを覚悟したのでしたが、何のお咎めも無かったのです。
 それも、竹を切った後を振り返って、私自身、泣き出したのでした。「ひょっとしたらもう田舎に来ることが出来ない」と怖くなったのでした。しかし、その事で祖父や祖母から怒られなかったのでした。先に泣きながら、帰ったからだと思うのです。そして、謝ろうとする心が十分に満ち溢れていた事を、理解してもらっていたのでした。
 その頃の私は、やんちゃでしたが、悪い事に関しては、謝ることも早かったようです。色々悪さをするにしても、すぐに後悔の念と心配の心が持ち上がるのです。赤鬼に墓場に埋められるのではないかとか、雷がとどろいて、打たれて死ぬのではないかとか、死んだら地獄に落ちるかもしれないとおびえたのでした。
 そのような事を思い、どうすればよいのか?と投げかけ、悪い事を素直に白状し、謝ってしまうのでした。そのような自分の姿が浮かび上がるのです。ちょっと冒険して、悪いことはするものの、すぐに小心になって謝る自分の姿が、幼き頃の私には思い出せるのです。
 今の私の心を形成しているのも、このような気持が大きいのではないかと思うのです。正直に生きることが、自分の役割であり。それしかできないような気がするのです。このような小さなころの自分の姿は、今の私を映し出しているような気がしてならないのです。