2012年4月26日(八段語録1664)

柔道(1)


 極真会館に憧れて、池袋の道場に入門したのでしたが、それ以前は、柔道を一生懸命していたのでした。柔道「日本伝講道館柔道」が正式名称で、加納治五郎が、明治15年に東京下谷北稲荷町、今の台東区上野の永昌寺というお寺で指導を開始したのが始まりだったのです。柔道は、日本に古くから伝わる格闘技である柔術を学び、様々な流派の長所を研究し、改善を行い、新しい柔術の技術的体系や指導体系を確立したのでした。そして、「道」(原理)があって、『術』(技芸)が生まれるという考えから柔道と名付けたそうなのです。
 その後、柔道をする人は次第に増加し、組織が大きくなり、様々な行事も行われるようになったのです。特に柔道は1887年(明治20)年頃から課外授業として行われ始め、1930年(昭和5)年には正科目として取り上げられ、また警察でも警察官育成過程に採用され大きな効果を上げたのでした。当然、軍隊、社会、町道場でも盛んにおこなわれるようになったのです。
 また、全日本柔道選手権大会、世界柔道選手権大会も行われ、東京オリンピックの時に正式種目としてくわえられるなど、日本の柔道は世界の「Judo」として急成長を遂げているのです。現在、世界の199か国が参加して結成されている国際柔道連盟は、その規約第一条に「国際柔道連盟は加納治五郎に創始され肉体と精神の教育体系を柔道と認める」と明記されているのです。
 加納治五郎は柔道を通じて人類の幸福・世界の平和を考え海外への進出にも熱意を持っていたのです。更に、1909年には、東洋初のIOC国際オリンピック委員に就任し、また1911年、体育協会を創設し初代会長も務め、国内外において体育の信仰にも大きく貢献したのでした。
 私もこの時代に生まれていたのならば、間違いなく柔道を続けていたに違いないと思うのですが、新しい、時代の流れと、大山倍達という偉大な人物に出会ったゆえに、極真空手道を邁進するという選択をしたのでした。その事は、私の人生において、未だ間違いはないと確信をしています。更に、恩恵も多く受けたことは確かなことなのです。そして、新たなる発展の為に、何をすべきかを考えていくのも、人生として楽しいことだと思っているのです。