2012年4月24日(八段語録1662)

英語の必要性


 極真会館の海外支部を相手に活動していくと、どうしても語学能力が必要になってきます。何も気にすることは無いと思うのですが、今までの私の語学能力ですと対応できない事が多いのです。それでも、空手指導をメインしているので、不自由することはないのですが、原点に返って英語のマスターをしようといつも行動にでるのです。
 毎年同じことを繰り返して決意しようとするのです。今年こそはマスターしたいという気持ちになるのです。そして結局は一か月も続かずに終わってしまうのです。今年も英語の必要性を感じているのですが、どうなることやらと自分を振り返るのです。
 英語の学習についても、マスターできるまで、努力したいと思うのです。あらゆる観点から検討していくのです。それで、結論として語学学習が挫折するように思って、いつの間にか二度と気にしないという態度に出てしまうのです。私の合理的な解決策なのですが、前進はしていないのです。
 今年も、早速語学の意識が芽生えてきているのです。貴重な時間を英語学習の振りに充てる訳です。時間程貴重なものはないと思うのです。この時間を費やそうとするのですが、どのようなことになるやらと、不安がよぎってしまうのです。語学を学習するには、今であると思うのですが、どうなることかと不安に思ってしまうのです。それでも、死後の来世において、学ぶことはできないと思っているのです。
 そのような意味で、一段と実りある海外遠征に備えるために、充実した語学学習を目指そうとするわけなのです。完全にマスターしたいという気持ちが湧き上がってくるのです。そして今年こそ、楽しい活動をしたいと思うのです。豊かな未来を海外支部と作ろうという信念は、今語学に取り組むしかないと結論づけているのです。
 今も、今年こそはという信念を持ちながら、今日こそ、常に私の最上の一日として過ごそうと思うのです。さてどうなることやら、気が気ではないのですが、環境設定からだという事で始めようと思うのでした。