2012年4月20日(八段語録1658)

活法


 いつの間にか、人を生かす技術を学ぼうとしているのです。これも武道であり、現代風にいうならば医療従事者という事なのです。若かりし頃、国際空手道連盟ルールの試合に相当数出場していたのでした。打撃中心の試合に臨むときの、私の姿勢は、最終的に相手を叩きのめすという所まで行かなかったのでした。理由は様々でした。実力で上回って、とても歯が立たないという事もありました。それでも、年齢と出場回数を重ねていくごとに、負ける気はしないのです。ただ旗が余計相手に上がるだけの事でした。結果的に全日本でもベスト8が最高位という事で、選手としては、それほど目立った活躍はしていないのです。
 理由は、最終的に引いてしまうのです。最後まで相手を打ちのめすところには至らなかったのです。しかし、道場内では強いのです。試合に勝つという事に関しては、譲ってしまう事が多かったのでしたが、道場での指導となると、教育的側面が強い事もあって、必ず見本を示して、強くなるように教育するというスタンスになっていたのです。
 最近、講談社から我が先祖の家系の本が出版されていました。それによると、斎藤道三に脅かされて、飛騨高山の初代藩士の地位を捨てて、全国を行脚したという記述があるのです。最終的には、争いを好まず、伊達藩に仕えて、今まで家系が存続しているという事になっているのです。そのような歴史を紐解くこともなく、私の血筋の中に、脈々と争いを好まず、教育に専念するDNAが流れているようなのです。
 それ故に、極真会館手塚グループでの副会長の立場は、実に要領を得ているのです。血筋にあっているという事なのです。そのような事も含めて、今活法を学んでいるという事は有意義であると結論つけるのでした。そういえば、私は、極真空手の指導者でありながら、話が多いいのです。それも、人格的な指導者になることを希望する話が多く語るのです。そのような意味では、振り返って、精神的な活法を指導していたのかもしれないのです。そして、肉体の何であるかを研究し、身体の健康を維持する事を指導しようとしているのですから、血統的に当然の道を選択しているような気がするのです。
 結論として、今まで経験してきた時間と状況は、先祖が願っている道を追求していると定義するのです。それゆえ、地上最強の極真空手に、新たな付加価値をつけようと努力して身もだえしているという事なのです。これは、大自然が、私を押し出しているエネルギーではないかと考えるのです。それ故今から行おうとする事柄は、最上の賽の目であると思うのです。何より大事なことは、この賽の目を、過去を顧み、人生の一瞬たりとも無為に過ごさないという決意があるのみなのかもしれないのです。それが、私の幸福な生き方だと決めているのです。