2012年4月19日(八段語録1657)

時の流れ


 誰も経験しようとしない事を、今実行しているという心持です。多くの友人たちは、社会的な頂点を上り詰めていくのが人生であると思考し、向上心を強く持つ人が多いのです。私の場合、人を押しのけて頂点を登ろうという意識よりも、もう一度ゼロ地点に立って、ジャンプしようと思う方が強いのです。なんといっても、今は学生なのです。若い教師の話を教室で聞いているのです。それを、苦にも思わない自分があるのです。その環境を楽しむかのようにしている訳なのです。
 厳密に言うならば、大いなる時の流れは、一向に変えることはできないと思うので、今やれること、感動できることを中心に動くのです。それが、今の自分の学生としての努力姿勢という事になります。この天地は、同じ速さで、決して後戻りしないのです。滔々と流れるだけなのです。その流れを止めることが出来るかというならば、それは否という事なのです。今の一瞬の為に、全財産を投げ出しても、後悔しない今があるのです。学生であるからといって後悔するでしょうか。
 もちろん、考えることがあります。もう少し、自分の都合の良いように、時の流れをコントロールする事ができるとしたならば、どんなに良い事かと思うのですが、叶わない事です。どんなに願おうとも、努力しても無駄なことなのです。私が一生懸命生きようが、眠っていようが、怠けていようが、大いなる時の流れは、変わらずに流れ続けているのです。それだから、このような立場で、仕掛けようとしているのです。
 ところで、この時の流れを、今の私が活用するとするならば、「今日」しかないのです。一度目、目の前の時の流れが、去ってしまうのであるならば、再び帰らざるとこしえの彼方に消えてしまうのです。それ故に、今新しい事にチャレンジしようとすることが、自分の生きがいになっているのです。いくら苦しくても、現実をしっかり見つめようとするのです。目標もしっかり定めているのです。いったん目標が定まったら、ありとあらゆる時間をその実現の為に注ぎ込まなければ気が済まないのです。自分の決心が正しいかどうかなどとは、かまっている暇がないというのが今日の生き方なのです。
 誰からも、権限を振るって、思うように生きる生き方はいくらでもあるというのです。学生になるなんて、時間の無駄だという人も多いのです。そんな声を聞くこともなく、新しい未来の為に準備に取りかかっているのです。それが、正しいかどうかは、後世の判断に委ねるべきで、思う存分、今やるべきことを、見向きもせずにチャレンジし続けているのです。今の一瞬はこの上なく素晴らしい一瞬であると定義しているのです。