2012年4月14日(八段語録1652)

人としての姿


 今また、人生の冒険に船出をしている自分がいるのです。その船は、人生のあらゆる経験と蓄積をかなぐり捨てて、一艘の小舟のようにして、大海原に漕ぎ出していく姿に似ているのです。人生の新たな境地を開くのに、既成の事実を積み上げても仕方がないのという判断なのです。そうといっても、全てを捨てて、人生をやり直そうなどとは思わないし、出家しようとは全く思っていないわけなのです。当然座礁する事もありの、生き様なのです。取りこし苦労もない世界です。新鮮で目先の事に目を向けている暇もないのです。もちろん、嵐がやってきて、倒れそうになることも自覚しているのです。どうやって防ごうかとうろたえるような発想ではないのです。何故ならば、自らが挑戦しているという実感を持つ人生だからなのです。神仏に対しての信頼を失ってまでも生きようとしないのです。
 ところで、これからどうなるかもわからないのです。打つ手や失敗の事まで考えることが出来ないというのが現状なのです。我が身を冒険の真っただ中に陥れるときに、もう既に恐怖心は追放され、いつしか安全な愛情に包まれるのです。今回の冒険は、ノアの方舟のようです。乗組員は、18名なのです。若者から、船長のような老人の私までいるのです。目標は様々あるのですが、一つだけ共通した目標があります。柔道整復師という国家資格を取得するという事なのです。
 それでも、先陣を切って、船長をしている小舟でも、後ろを振り返ると、家族はもちろんの事、極真会館、地域社会、法務省から宮城県県会議員の先輩や、仙台市議会議員の先生に至るまで、護送軍団としての擁護圏を見るのです。ありがたい事です。本当に為に生きてきた背景が、先頭を切っている私の守りになっているのです。今日も気にかかることが多いのですが、明日には解決してしまうのではないかという勢いです。だから、就寝の時には、大抵の事象に対して、安心して言い聞かせることがあるのです。「今日も全力を尽くした。今後もう同じ葛藤はあるはずはない」と。
 今年は、震災という悲惨なことから、一年を経過して、あらゆる意欲を表現する歳であると心に言い聞かせているのです。護送船団と共に、先頭を走る先陣を切る方舟の船長として間違いのないかじ取りをしようと心に誓うのでした。