2012年4月11日(八段語録1649)

入学準備


 人生の最終である第四コーナーを回っているという事を専門学校の門を叩いてみて感じるのです。というのは、クラスメイトが高校卒業したばかりの子供達や家庭を持つ前の独身男女、そして家族を守って家の柱になっている人など、様々なのです。そのような環境を、チョイスしたことが、実に痛快でならないのです。この教室は、社会人を中心とした、柔道整復師の国家資格を勝ち取ろうという努力する群れになっているのです。私も一員という事なのです。
 クラスメイトを見渡すと、多種多様な生き様をしてきたようです。私との比較をするのです。比べる理由も思いつかないのですが、私の人生を振り返るチャンスになっているのです。人生の荒波にもまれながら、単純で純粋な生き方ができたのだと自負するのです。自己の成長の為に、極真会館を選択し、命懸けの人生を歩んだのでした。大会に参加するのに、365日猛練習を重ねて、たった三分に懸けたのです。これほど単純な事もないのです。
 さらに、二四歳の時に千順さんとの出会いがありました。神に祝福されたのだと感じるのです。何故ならば、気持ちが良く合うのです。お互いの愛情の絆は、一度たりとも傷つくこともなく、純愛と潔癖を貫き続けてきたのです。その結実が、良き息子であり、娘という事になります。その子供達も二十歳を過ぎて、巣立っていこうとしているのです。若かりし頃に人生の何たるかを悩み、家庭を持っては、愛情の限りを尽くし、そして今新たなるステージを求めようとしている自分の姿があるのです。
 現実に考えてみるならば、人生の第四コーナーですから、いつお迎えが来てもかまわないほど準備は整っているのです。ある意味で、今までの人生の勝利の土台に甘えることもできるのですが、それを許さない自分があるのです。あくまでも挑戦し続けていく人生という事なのです。人生のあらゆる味を知り尽くして見ると、最後のラストランが、全力で疾走する事も良いのではないかと思うのです。今までの経験は、研ぎ澄まされるほど磨きがかかっているはずだと思うのです。私は一文無しになったとしても、今の生き方に後悔はしないと思うのです。
 充実した人生こそが、価値あるものであり、外的に資格を持ったとしても、それが幸福の要素にはならない事を重々承知しているのです。今のグループでの活動が、何の益にもならないとはまるっきり思わないのです。私は最善を尽くし、後の結果は神仏に、お任せするだけなのです。構想理想は、頭の中を去来するのです。最高の極真会館を目指して、日夜励むだけなのかもしれないのです。