2012年4月10日(八段語録1648)

春の農作業二日目


 昨日とはうってかわって、風も穏やかになってきました。耕した畑に、堆肥を入れるために、溝を掘ります。耕運機に溝を作る器械を取りつけて、十メートル程のまっすぐな溝が出来上がります。それを、二十二本掘りました。畑全体の半分の面積をジャガイモの作付けをするのです。午後から手掛けて、今日もいつの間にか日が暮れて、夕方七時すぐになってしまいました。耕運機の音を唸らせながら、時間が経つのも忘れて、掘り上げていました。
 今年は、ジャガイモの作付けが、遅いのです。寒さが、いつもの年より長く続いたので、急ピッチに耕作を始めている状態という事になります。いつもの年ですと、妻と一緒に畑の作業をするのですが、今年は初めから収穫まで私が見守ろうと思っているのです。だんだん愛情が芽生えて、収穫されるジャガイモが愛おしく感じるのかもしれません。子供を育てるように、見守りたいという欲求に駆られているのです。
 ところで、畑に関しても、ひとたび決断を下し、後は実行のみとなったら、気がかりになるものです。結果に対する責任や心配が大きくなります。自然がジャガイモを育ててくれるとは言え、一つひとつの種が、しっかりと根付いて、芽をだし、若葉が顔を出さない限り心配になる気がするのです。ジャガイモの作付けを通じて、大自然と対話する時間を持つ事ができます。その時間が実に私の心から望むことなのです。大自然は、何の事情もないので、私を煩わしく思わずに、全て受け入れてくれます。それ故、私が、心を委ねていく事に何の躊躇もないのです。
 先週風速40メートルの風で飛ばされた屋根が、畑の真ん中にあるので、邪魔になるのですが、隣の人が、申し訳なさそうに誤ってくださったので、気にならないのです。人間というのは、僅かばかりのあいさつで、何のわだかまりも持たないものだと感じてしまいました。それと、畑に対する愛情の注ぎ方が板についてきているのです。子育をしたときにも感じたのですが、最初は、どのようにしたらよいのか分からないのですが、要領を得ると、子供達が愛おしくなるものです。
 もちろん、道場生に対しても、同じで、成長していく姿が、分かりはじめると、心の投入は容易くなるものです。先輩達を愛情を持って注いで育てたので、後輩に対しては、先輩の愛情も付け加えて、心を投入する事ができるものだと感じるのです。そのような意味では、愛情はスパイダル的に広がっていくものだと実感するのです。愛情生活とは、このような事だと、一人でほくそ笑んでいるのでした。