2012年4月7日(八段語録1645)

茂奈の入学式


 茂奈が、東北こども福祉専門学校に入学を許可されたのでした。文化圏も違うアメリカから、日本の幼稚園の先生になろうとする気持ちは、相当な決意が無ければできない事なのです。言葉も違うし、当然、読み書きも戸惑う訳なのです。そのようなハンディを覚悟して、入学を強行したのでした。もちろん、父の私は大賛成なのです。その道が険しければ険しいほど、人としての人格の練磨がなされるのだと思うからなのです。
 午前十一時過ぎに、入学式は挙行されました。この学校は、社会人が中心なので、御両親が参加子弟という事はないのです。それでも親以上に親ばかな私は、順香と文誉、三人で後ろに席を陣取ったのでした。入学者は社会人ばかり、三十四名ということでした。茂奈が緊張している様子が後ろから伺えるのです。夫の聖義はというならば、専門学校には両親など来るのは珍しいの他と言いながら、家で待っているようでした。内心、心配で仕方がないようでした。
 その後に懇親会が持たれたのですが、茂奈の自立の為にという口実で、一階のレストランで食事を取っていたのです。それにしても果敢に挑戦しようとする嫁の茂奈に頭が下がるばかりです。茂奈も二十歳、結婚したとはいえ、美しい女性に変身しているのです。これで、息子が奮起しなければ、罰が当たるものだと思うのでした。息子の最終学年であり、最後のチャンスの国家試験という事になります。
 ところで、この茂奈の人生の選択に関して、一般論としてみれば、外国人が、日本人よりも、深く追求されるレポートや論文等書き続けていけるのだろうかと専門性ゆえの障壁に気を取られてしまうのです。果たして、入学してこの一年で、手元に引付けることが出来るのだろうかとも考えてしまいます。数知れない重荷を背負って、三年で卒業するという事は、至難の業であると感じるのです。このような、無謀な事に挑戦するのですから、自分の手に負えない事ばかりであろうと思うのです。
 それでも、思い出して欲しいと私は提言するのです。日本の習慣や言語が茂奈を押しつぶす事は出来ないということです。茂奈を押しつぶすとしたら、自分に対する弱さだけなのです。その自分でさえ、上手にコントロールするならば、取るに足らない事なのかもしれないのです。苦境に立つことは、当たり前という気持ちで頑張ってほしいのです。