2012年4月6日(八段語録1644)

大樹


 樹齢数百年にも及ぶ桜の木が、今回の風速四十メートルという春の嵐に揉まれながら、今年の花を咲かすことなく、一本の樹木の残骸になってしまったのです。お寺の人達に言わせると、長い間、寺を守ってきたくれたのだそうです。若木の時には、伊達正宗の群雄割拠する時代を眺めていたのであり、幻となった野蒜築港の夢を共有したのだと思うのです。この桜の木は、数世紀にわたって、数えきれないほど多くの落雷や暴風にさらされた事は間違いないのです。その木はひたすら生命力を持って生き抜いたのです。
 しかしながら、今回の春の嵐に倒れてしまったのです。大方暴風が桜の木を倒したのだと思ったのでしたが、樹木の医者に言わせると、シロアリのような小さな虫たちが樹皮を破って、幹に侵入して食い荒らしたという事なのです。握りつぶせば、死んでしまうような昆虫が、少しずつ食い荒らして、徐々に生命力を破壊してしまったという事なのだそうです。長い歳月に耐え、落雷と暴風をももろともせずに生き抜いた巨木が、人が一ひねりできるような昆虫に倒されたのです。
 そのような自然現象を目のあたりにして、大きな人生の転機のような試練が人生を駄目にするのではないと思うのです。それよりも、日常の些細な事柄を、とやかく気に留めて心を乱すところにあるように思えたのです。取るに足らない事、人生のシロアリに、自分の人生を食いつぶされないようにすべきではないかと思うのです。もちろん、気にかかることばかりが降りかかるものです。
 私の場合、ありがたい事に、些細な事に気を留めるような性格ではないのです。身近にはっきり見えることにも、疎いのです。どちらかと言えば、やるべきことを遠くにぼんやり見えているような、生き方なのかもしれないのです。しかし、その理想を追い求めるには結構真剣な所があるのです。現場の問題に口をはさむような事もしないのです。どちらかと言えば、事態の成り行きに任せてしまうのです。それでも責任だけは取るという姿勢を持っているのです。
 こんな生き方が、大樹になったとしても、雷や嵐に負けることなく、さらに、シロアリのような小さな昆虫にも負けないような生き様ではないかとおもうのです。ともあれ、今日も一生懸命過ごしたのです。そして、現場をスタッフに委ねて、極真会館の未来を切り開こうとするのです。