2012年3月30日(八段語録1637)

我が先祖2


 定近なる人物が、城を構えている領地に、斎藤道三が来て、冷たい水を所望したところから、定近の葛藤が始まり、城を明け渡すという事に結論を出したというのです、ここから流浪の歴史が始まるのです。戦国時代の習で、強いものがかつのが戦国という事なのでした。
 このように、先祖の行動を見ると、潔く戦って滅びていく家柄ではないようです。一族をどのように絶やさないかを考えながら、陸奥まで生き延びてきたのだという事を理解するようになったのです。このような発想が、私の心にもあるのだという事も理解するのです。権勢を誇る人物からは、身を遠ざけ、我が道を行くというような気風があるようです。
 ところで、父方の先祖は、利府町で豪族をしていたという事なのです。祖父の金上寿一は、伊藤家の出身で、一五代も続いている庄屋なのです。つい最近まで利府町議会議員をしていたそうです。その長男が金上家に養子として迎えられたというのです。金上家は、おとなしいく、真面目な気風で、どちらかというと、自己主張することのない家系なのです。金上寿一が森家から静江を妻として迎え入れてから親父が誕生したのです。
 いろいろな、事情があって、親父は森の姓を名乗るのですが、金上家、森家とも、交流があり、違和感のない関係が続いてきたのです。菩提寺の道安寺の住職の名前をそのままいただいたようなのが、私の名前という事になりました。
 このような関係の中から、私が生まれてきたのですが、詳細は、今後の先祖探索として探究しようと思っておりますが、私の血の中には、多くの人と和合して、決して争わない性格があるのです。そして、争わない性格にも、個性は強烈なものとして映るようです。
まだまだ、先祖に関しては、史跡の資料から探索する事にして、自我を見つめながら、社会貢献の道に携わっていこうというのが私の信条のようです。
 まだ、不十分な勉強ながら、先祖の事を意識して、これからの人生を推し進めていこうとするのです。還暦を迎えるという事は、このような発想にもなるのだと、私ながら不思議にも思うのです。そして、私が、極真会館で武道に励んでいる事や、地域に根ざして、地域貢献の道を歩んでいるのも、先祖の関係と、何らかの関係があるのではと思うのです。