2012年3月26日(八段語録1633)

帰宅


 新幹線で仙台駅に着いたのは、午後三時半でした。久しぶりの仙台という事になりました。今年は忙しくなります。午前中に考えていたのは、忙しい状態が今年であると実感しているのです。専門学校の授業も生半可ではないのです。その忙しさの真っただ中に身を置くという事が自分の役割になるわけです。この忙しくなるという気持ちが、あらゆる不安を払拭しそうなのです。
 これからは、モデルとしての宮城県本部という事になるのです。グループ全体に心を砕きながら、先頭を走る騎士としての役割なのです。その事で、あらゆる不安を拭い去ることが出来そうなのです。どのような能力の持ち主であっても、人間は一度に、一つの事しか思考する事ができないという事に気が付くのです。
 現場の責任者と心を合わせながら、あらゆるややこしい事に首を突っ込むことではなく、極真会館の理想型に、心を向けて突進していくべきなのです。もう既にどうにもならないことはどうにもならない事であると割り切ることなのです。こうであったらという願望は捨て去り、過去を振り返らず、希望を持って新しい目標に向かう事にするのです。
 私の歩んできていることは、間違いのないという信念を持つべきなのです。このような事も一つの経験と考えるべきなのです。悩みは忘れ去ろうという事なのです。そうでなくても目の前は常に困難な事ばかりなのです。振り返れば、ブログを読むと、公的団体として立ち上がろうとした経緯は、去年の11月にも及ぶのです。公的団体にするために、一つの公的資金を作ることを夢見ていました。そして誰もが認める運営の仕方を望んだのでした。
 その為の犠牲は多く払った事になりました。この方針にそぐわないという思いで、決別した団体もありました。過ぎ去ったことは決して気にかけないのが、私が、選択すべきことであると思うのです。その結果、このグループについてくることは、困難であるという判断をさせたのでした。しかし、現実に推し進めてきた結果、やはり、公的団体には変化することはできないという事を、私なりに悟ってしまったのです。
 それでも、私が、その事ゆえに、ただ手をこまねいて、そのまま引き籠ってしまって、クヨクヨ考えているとするならば、私自身の身体をむしばんでしまう行動をしてしまって,ふがいない人物に成り下がるのではないかと思うのです。時代遅れの幽霊になることなど、自分にとっても許せない事なのです。
 立ち上がろうという気持ちが、湧いてくるのです。それも、宮城県本部を主体とした理想型へと向かう事に、執念を抱くのです。もちろん、人は変わるという事も十分認知するのです。過去の自分はもはや現在の自分ではないと思うのです。悩む私も悩ます人も、時がたてば別人となると思うのでした。