2012年3月25日(八段語録1632)

悩み事


 ヨーロッパの若いカップルに出会いました。場所を聞かれ、しどろもどろで英語で話をしたのでした。気持ちが通じたのか理解してくれたようでした。その後に感謝の気持ちを伝えてくれました。韓国人と間違ったのだと思うのですが、カンサムニダと返事をしてくれました。私は黙って笑顔で答えたのでした。理由は、私が何人でも構わないという気持ちになったのです。そして、その笑顔が印象的で心が洗われるようでした。
 私なりに今後のグループの発展を願って、提案をしたのでした。私の方向性は、未だ時が熟していないという事と私は判断したのです。当然、全ての意見を取り入れてもらうという事を考えていないのですが、それでも意地がありますので、この意地を貫くかというと、そのような事は、年齢を重ねた私にとっては、青春の輝きの時と違っているようなのです。
そして、この事態の事を考えるようにしました。そして、あらゆる空手道団体について、検討したのです。実践空手が極真会館を源流に発展してきたのは事実なのですが、この発展を、正常な形になっているかというならば、無数の分派に分かれて、自らが主人となっているのです。そのような意味では、自分の立場を守るという事を最大限に考慮に入れるという判断なのです。どうしても、受け入れられないという判断になったのですから、あっさりと覚悟を決めるべきなのです。そして、ついでに気を落ち着けて、事態の改善に取りかかるようにしている自分に気が付いているのです。
それでも、宮城県本部では、夢を捨てないという方向には変わりがないのです。現在、極真会館として公的に登録してあるのです。対外的にも会計面を初め、運営面でもしっかりと対応しているのです。このような有能なスタッフに囲まれたことに感謝しながら、自らの範疇での戦略は、現場の責任者と相談しながら、最大幸福の初期エクレジアの新鮮な関係を築き上げたいと思うのでした。
 人生は、砂時計のようなものであると感じるのです。砂時計の二つの瓶はごく細い首でつながっているのです。一度に砂粒一つしか通り抜けられないようになっているのです。これが人生の真の姿なのです。例え理想が多くあっても、その理想を果たすときは、一度に僅かしかないという事なのだと思うのです。人生すべてこの通りだと、改めて感じたのでした。
 そして、来月から入学する柔道整復師という役割を、新たな伏線として、道場運営に真っ向から取り組もうとするのです。今取り組めることは一つであって、一度にできることは一つであり、取り組むべき問題も一つであり、心の緊張をおびただしくしても、一つのチャンスに挑戦する以外にはないと判断したのでした。