2012年3月22日(八段語録1629)

黒田夫人と会う


 懐かしい人と会う事ができました。もう既に二人の子供が二十八歳という事でした。二卵性双生児という事だそうです。残念ながら、ご主人を六十七歳に脳溢血亡くしたのです。それでも気丈に振る舞っておられました。彼女とは、十歳以上の年齢が離れているのです。私が札幌で事業を展開していた時に、販売員のまとめ役をしてくれたのです。私はもう既に北海道を離れているので、分からなかったのですが、そのころのメンバーが、一緒に歩んだ頃の事を懐かしく思っているという事を聞かされました。このような年齢に差掛ってしまいました。それにしても、昔北海道で歩んだ事を思い出してくれる人との出会いがあり、自分の宝を探したような感動を受けたのでした。
 私にとって、黒田夫人は乳母のような人でした。自分に厳しくもあり、当然私に対しても厳しく接しておられました。強いて言うならば、幼い経営者である私に対して、ゆりかごを、手荒くゆすって、私の足らなさを指摘しながら、逞しい、均整のとれた内容を持つ経営者に育て上げてくれたのではないかと思うのです。この夫人は、私を内側から、サポートしてくれたのです。決して、前に出ることなく、しかも力強い協力者でした。そのような思い出を胸に秘めながらも、会話が止まらないのです。
 とどのつまりは、またして、全ての私の心を吐き出させ、新たな気持にさせてくれたのでした。一挙に自分が今まで取り組んできたことを包み隠さず話しているのです。もう既に三十数年前の自分に戻っているのです。経営的には、時代的背景もあって、実にうまく行ったのです。二十代の私が、経営者として名乗りを上げるくらいですので、強運を捨てたものではないと感じてしまうのでした。その事ゆえに、北海道を離れてからの時間の話を一方的にしていたのです。
 というのも、その時輝いていた自分の姿を賛美してくれるのです。そのおだてに乗って、捲し立てて話し、今後のビジョンにまで及んでいました。そのような出会いは、私の過去が、真剣に歩んでいたことの証であると思えたのです。おだてに乗って話をしている自分が、黒田夫人との話をしていく中に、気が付いたことは、どこが間違っているのかが自然に判明してくるのです。真実に向かって自分が整理されるのです。そして、今後うっかり犯しそうな失敗の姿が一つ消えていくようでした。
 今までの人生が、少なからずとも計画を立てて、完全に敗北することなく、少しずつ、前進していった事に感謝するのです。じっくり考えて練ってきた人生とは程遠いのですが、ともあれ、間違った人生ではないという事を証明してくれたのでした。そして、これから掲げる人生のビジョンを話す中に、うっかり犯しそうな失敗に気が付かされたのでした。それにしても、素晴らしい出会いが出来たことに感謝でした。