2012年3月21日(八段語録1628)

生きがい


 還暦近くまで、本気で人生に取り組んできたのです。個人として、自分自身を鍛え、家庭人として、妻との二人三脚に適合し、子供達との愛情をはぐくみ、何申し分のない生き方をしてきたという思いがあるのですが、それでも一度、人生の棚卸をしなければならない時期に入っているのかもしれないと思うのです。
 人生の終焉という意味ではなく、新しいエンジンを船に積み替えて出発するという意味なのです。このエンジンとは、すなわち、これからの人生に熱中する事ができる対象を持つかという事なのです。これからの自分の人生で手掛けなければならない事を整理する事にあると思っているのです。まず、個人についての整理です。今まで築いてきた内容は、次の世代の人に引き継ぐという意識は根底にあるのです。
勝利した事に、固執するつもりはないのです。その基盤をベースに、新しい道を開拓するという行為に出発しなければならないと思うのです。そのような意味では、弟子やスタッフが信頼できなければ、前へ進むことなどできないのです。次の柱は、全国展開でした。その礎は、当然宮城県本部の全体に責任を持つ菅野師範の能力であることは間違いないのです。その盤石な土台があるからこそ、次の摂理へと熱中する事ができるのです。
もう一つは、広島の宮城師範の専門学校の合格を待つばかりなのですが、極真会館として、社会貢献の問題なのです。極真空手を広めていくという事に関して、いささかのブレもないのですが、それ以上に、社会基盤の確立を目指さなければならないという事なのです。外から通って極真空手を習った人達が、更なる発展を遂げることは言うまでもないのです。
しかしながら、極真空手に一生を捧げようとするスタッフの処遇の問題なのです。空手道を追求したら、貧乏になって、生活もできないというようでは話にならないのです。その為に、展開しようとするのが、治療院の開設という事になるのです。くしくも、息子が先陣を切って、国家資格を取得しようとしているのです。それに続くように、宮城師範や私が国家資格を目指そうと腹を固めたわけなのです。このことに関して、熱中できる情熱があるのです。これは、不思議な展開になったものだと思うのです。
今、胸に温めてきた計画の全てを、積み重ねて、天に向かおうとしているのです。もちろん失敗は覚悟の上なのです。その情熱だけが頼りであると思うのです。誰がやるのかという事になると、責任を持った者が、率先しなければならないという結論になるのです。極真会館宮城県本部の創設以来、十一年の歳月を過ごしてきました。成功よりも失敗の数が多いのです。それでも一緒に歩んできてくれた弟子たちに心より感謝をするのです。そのような意味では、苦さの味を知っているので、甘さを体験する事ができるという事なのかもしれないのです。
それと、今まで自分が体験してきたことを、生かすことが出来ないかという事を模索しているのです。そのような意味で、今はまた、修業の旅をしているような気がするのです。人生の棚卸の時期を、過ごして新しいエンジンを積みこもうと思っているところなのです。