2012年3月13日(八段語録1620)

広島最終日


 九時半に宮城師範家族が送りに来てくれました。私の妻と文誉は、広島山間部の実家から、広島バスセンターに到着するのです。エルグランドの大型ワゴンで拾って、広島城へ観光に出かけたのです。毛利家の繁栄が、城の中を螺旋状に上るごとに、表現されているのです。四百年以前の歴史に思いを馳せながら、広島の武家社会の統治能力の高さに、引かれるものがあったのでした。天守閣から見下ろす風景も、火の見やぐら以上で、全ての市民生活が見渡せるのです。遠く歴史の絵巻物に心を奪われたひと時でした。
 正午には、広島空港に到着です。小一時間あまり、森家と宮城家との懇談を持ったのです。家族同士が会いまみえて話すという事は、いつもと違う切り口になります。話の内容も変わります。主導権を握るのも女性達という事にもなります。それでいて充実した時間が流れていたのです。今の宮城家は、全員が一丸となって空手教室に心を合わせて取り組んでいるのです。そして、将来の理想に、お互い話が尽きなくなっていくのです。
 当然、お互いに、極真会館を中心とした歩みをしようとすることに対しては、何の異論もないのです。ただ、どのように安定的に発展させるかという事が課題なのです。指導者が、すぐに成長するわけにはいかないのです。時間がかかります。更に、空手に専念した選手や指導者が生活の糧を得なければならないのです。そう考えたあげく、柔道整復師の資格を取って、治療院を開いて、安定的発展をさせていくという事に意気投合したのでした。私の場合、明日の十四日に試験が待ち構えています。そして宮城師範は、十七日に試験なのです。専門学校へ三年通って、国家資格を取り、指導員が、午前中、午後と社会貢献していく道を切り開くと同時に、将来の生活の安定を図ろうという思いなのです。
 今回の柔道整復師という道に対しては、信念なのです。どのような信念なのかというと、極真会館を社会的貢献の手段と考えて、指導者が安心して空手道に専念できる道を開拓できるという信念なのです。この信念で宮城師範と意気投合したという事なのです。この内容に関しては、私としては試行覚悟の末に、納得しているのです。そうでなければ、宮城師範も軽はずみに乗ってくる内容ではないのです。
 二月に入って下旬に入ろうとする頃、私は口角泡を飛ばして、熱弁をふるったのでした。私が心行くまで推察して、構想を練ったのです。そして、ブログでも書き、黙想を重ね、対話をしていくうちに、私の血液は沸き立ち、私の頭脳の回転は研ぎ澄まされるようになっていったのでした。そして、今の境地は思う存分実行に移そうとすることになっているのです。私は、崇高な空手道の発展に自信を深めているのです。大会を行って、集客能力を高めて、有名に成ろうなどという事は、微塵にも考えていないのです。それよりも、宮城県本部の道場生が、極真空手道に対する伝統的な姿勢を高めようとすることに努力しているのです。