本部長通信162 2008年4月25日
人生転換(10)
師範は、宮城県本部に足場を築いたことになります。この仙台は、伊達正宗公の膝元でありますから、由緒ある地域です。何を始めるにしても、一点が問題になるのです。この宮城県本部の位置づけを氷が張る一点と考えるのです。足場ができているかどうか、つまり、氷であるかないかの一点なのです。
分別もつかないそのものから始まるのです。本当か嘘かわからないその地点から始まるのです。その時代が七年前でした。そこが固まってきて氷になった場合には全体が凍ってしまうと同じように、一度に拡大し続けるのです。
それで、師範は仙台平野を一望に見渡せる榴岡体育館に拠点を置いたのです。この拠点は、伊達正宗公が最初に仙台に来て城を築きたかったところなのでしたが、当時家康公から警戒され青葉山にやむなく城を築かざるをえなかったのでした。今の規模とは比べられないくらい、小さな団体で出発したのです。その時の私達の立場は市民権など程遠いものでした。一体どうなるのだろという自分ながらの不安も結構大きかったのです。市民権なき流浪の民みたいなものでした。
極真会館宮城野支部の形はあるのだけれど、何の権威も持っていない、堂々と宣言できるようなものではなかったのです。そこで、師範を中心として、全地域を動員してボランテァでいいから空手に興味のある人たちを集めたのです。師範と菅野師範代は、毎回のように韓国家庭料理キムチちゃんにて、打ち合わせでした。夢ばかり話していました。今にしてみれば懐かしい気がします。
師範稽古 基本40分 長町教室