2012年3月12日(八段語録1619)

津高先生の家


 岡山へ向かいました。途中、小泉さんと会う事ができました。小泉さんとは2月5日に仙台で出会った戦友なのです。同じ年代を駆け抜けたのです。人生振り返る物差しになる出会いでした。共に、贅沢や安楽とは無縁の人生を送ってきたのです。しかし、二人に共通していることは、何か我を忘れて取り組める事柄を持ってきたという事でした。
 私の場合、特別な能力を持っているかというならば、そんなことは無いのです。何事にも熱中してきたという事だけなのです。その熱中する姿勢は、度が過ぎているくらいなのです。その為に、いつの間にか、人と調和するようになっているし、自分が歩んだ分野で先頭に立っているのでした。自分のミッションに全身全霊を傾け、打ち込んでいくうちに、楽しさがどんどん増えていくばかりではなく、誰からも信頼されるようになってきたのです。
 ところで、岡山に行った理由は、津高先生に会うためなのです。三年前から空手の道の勧誘を進めていました。優秀な人材です。男の子を四人も恵まれて、生活の中で埋没しているようでしたので、刺激を与え続けてきたのです。本人にすれば、迷惑千万なのですが、私としては、優秀な人材のスカウトなのです。信念を持って、三年間食堂を経営してきたのです。本人は、納得のいく生き方をしていたのですが、ここに来て、私の熱心な勧誘に耳を傾けてくれるようになったのです。一月末には、仙台に、空手の指導の内容を見学に来てくれたのでした。
 今回の訪問の目的は、人生も空手道も同じであるという事を、私の体験から表現しに来ただけなのです。大いなる理想を語りました。夢のようなビジョンも話しました。そして、勝負して勝つことが大事であり、その目標に向かって突っ込むことの話をしたのです。決して反則することなく、人生の試練から身をかわすことなく、勝負をつけるために突っ込むだけの話なのですが、昔話していたことのようでした。津高さんの歩みは、信念の塊なのです。失敗は成功の母と言えるくらい、あらゆる体験をしていたのです。落胆と失敗は、人を確実に成功に向かわせる二つの試金石であると思っているのです。今までの二つの内容を自発的に研究し、何か今後役立てることを掴みとることが出来るならば、これほどプラスになることは無いのです。
 私は、彼が栄光に輝いている時を知っているのです。共にした過去を振り返ってみても、大勝利を収めてきたのです。そのような彼の姿を思い浮かべると、今の試練や失敗が、成功の助けになる場合があると確信するのです。彼は、人を動かし、目標に向かっていく天才なのです。一緒に歩んだ三年間の姿は、何でも思い通りに勝利してきたのです。獲物を狙う狼のように、全身の筋肉を緊張させて、ひたすら獲物を獲得していく姿が思い出されるのです。
 確かに家庭を持っている今は、独身の時とは違っているのですが、その眼光は、変わりがないのです。そして、家庭を守っていく姿は、お父さんそのものでした。今後の津高先生の活躍を、眼に浮かべながら、岡山を後にしたのでした。また一つ、私の人生に光明が宿ったのでした。