2012年3月8日(八段語録1615)

準備


 人生の集大成の時が始まるという事を、何度となく書き記すようになっているのです。今までの経験を整理すべき時でもあると感じるのです。来年は還暦であり、一般サラリーマンならば、退職の時期を迎えているのです。その時期を前にして、整理統合しながら、来世へ向けての旅たちともいうべき戦略を練るのです。振り返って、人生を見つめ直すならば、途方もない未来という未知へ向けて、がむしゃらに走り抜いてきたというのが適当なのかもしれないのです。思い込みの激しい、気質でしたので、体力の続く限り歩み続けたのでした。
 当然、それなりの目標を持ったのです。個人として立派になろうとしたのであり、妻を迎えて良き家庭を営もうとしたのでした。全ては夢のようですが、叶えてきたのです。そして今、その延長にあるのです。極真空手に対する興味は、誰も取り組んだことのない分野であったからなのです。先輩が殆どいない分野なので自由に、活躍する事ができました。この道で、私を拘束したのは、孔子や孟子の教えであり、キリストであったり、釈迦であったりしたのです。そして、極真空手で、強い信念を抱く要因になったのであり、強い人間になろうとしたのでした。
 この極真空手との出会いは、私に限りなく心を打ちこんで、貫いてかかれる事柄に、多く出会わせてくれたのです。還暦を迎えるにあたり、子供達に熱中してきた心を伝えることは出来たのかもしれないのです。私が極真空手の興味を持ったという事は、人として真の幸福と安心を得られたのかもしれないのです。この極真空手との出会いは、私の人生を素晴らしいもののように変化させてくれたのです。極真空手という、暴れ馬を乗りこなしてきたというのが実感なのです。
 ところで、今の私の心境はというならば、あの世に向けての旅立ちのような、生き方をしたいという事なのです。もう現世においてあらゆることを、原則的に歩んできたのです。実に十二分な生き方でした。その生き方の検証が残っているのも事実なのです。今となって過去を振り返えりながら、善悪を分別するのです。そこで、選択したのは、原理原則を学ぶという一歩を踏み出すために、人体を研究するところにあると位置づけたのでした。人とはなんであるかという問いに、正しく答えてくれるのが、人体だと思えたのです。その事を学ぶ為に、解剖学や生理学を取り入れるという方法を考案したのです。
 独学では、大変な分野なので、専門学校を選択しました。時間が無いので、夜間にしたのです。この期間に、人生をしっかり整理して、人体から正しい回答を得ようと試みるのです。というのも今まで、多くの人をカウンセリングしてきました。そのカウンセリングに正しいという確証がないのです。曖昧だったからなのです。今度は違うような気がするのです。森羅万象の中で、万物の霊長と呼ばれる人間の研究ですから、何か人間の神秘を知ることが出来るのではないかという信念なのです。当然、柔道整復師という国家資格もおまけについてきます。それを踏まえて、心の身体の状況を把握して、心を治療できる人間になれたらいいのではないかという、私の希望なのです。そのような意味では、準備であり、チャレンジであることは間違いないのです。