2012年3月7日(八段語録1614)

心の研究


 人生においてもっとも重要な事は、大きな目標を持つ事に他ならないのです。もちろん、それを達成する能力と体力を持つ事が重要になってくるのです。私の場合、自分の事は、意外と後回しにする性格のようなのです。それが、振り返ってみると、「的中」の人生として、強靭なまでに推し進めているように思うのです。他の人の事を重要視する人生観がいつの間にか身についてしまったようです。
 私には、取りも直さず、師がいつもいるのです。そしてその師の為に全力で尽くすのです。そうする事によって、私自身が卑屈になったり、引っ込み思案になったりしがちなのを克服してしまっているのです。一番に師に興味を持つ人生でした。師の事を考えると、その理念と姿勢に預かって、前進また前進と、駒を進めていく気持ちになれるのです。師と共に生きるという方法手段を取った私の人生は、恵まれてきました。そして、今なのその領域に生きているのです。決して自分の事を考えてはいないのです。
 さらに、気後れなどしない私自身に姿勢があります。誰かの為に何かを尽くしていこうとすることなのです。今回医療の道を進むのも理由があります。他人の為に何かを尽くしてやることの決意がにじむのです。もちろん医療の道ですから、肉体的な問題の解決を図っていく事は言うまでもないのです。しかし、人間の身体を研究すればするほど、精密なメカニズムに驚かされるのです。それだけで留まらないのです。肉体の構造よりももっと高度な心の身体があるのではないかという結論を出してしまうのです。
 当然、心は、目には見えないのですが、現存していることは間違いないのです。その事がはっきりするならば、心の身体の研究の序説としての、実際の肉体の解剖学から始まるのも、良いのではないかという気持ちになっているのです。原点は常に人に親切にしたいという事であり、友達のような心で接する事が、人生において素晴らしい生き方の実践ではないかと思うのです。
 今の自分は、熱中する心が、広がりを見せています。そうでなければ、隠居生活のようになり、人生の発展や進歩もあり得ないと思うのです。このような人生を過ごしてきたことに誇りを抱いています。そして、今後の自分の決断は、突拍子もないのですが、心の身体の研究と、それに伴う人の心の友になれるように、人生を進めていきたいと思うのです。
 今日は、青少年振興協会の増田理事長と話す機会がありました。一方的なのですが、今後の財団の方向性としての意見を述べさせていただきました。多くの知識人の英知をお借りして、青少年教育に携わりたいという事を、私の意見として、捲し立てたのでした。そして、遅々たる歩みなのですが、仙台に基盤を築いて進めるような話をしているのです。震災にあった東北の青年の為に、多くの経験者の知恵をお借りしながら、推し進めていく事も必要なのではないかと思うのでした。