2016年12月29日(八段語録3010)
極真空手の目指すべき理想

1991年9月 人生における、一大決心を、今でも鮮明に思い出すのです。三十八歳の年齢を迎えていました。お世話になった大先生からの期待と願いを受けたのです。独立して、「今まで修行してきた全てを投入して、あなたの人生を出発させなない」ということでした。関西に在住していましたので、家族全員で荷物をまとめて、故郷仙台に帰ってきたのです。仙台に帰ってきて、周囲を見渡すように、いろいろな人と出会いました。経済活動をしようとは、一切考えていませんでした。あくまでも、青春時代の延長を行くという覚悟なのです。この道しか歩んで来なかったのです。社会を研究するという名目で、東北学院大学経済学部に入学したのです。四年間社会の研究に勤しみました。それでも飽き足らずに、さらに四年間大学院での研究を熱心に行ったのです。経済問題の解決を、運営という観点で試みるという試案を確立したのです。そして、悲しんでいる人、孤独な人の手助けに当たったのです。それは、喜びと栄光、そして幸福を追求する道を示すということでした。
生きる上で、土台がしっかりしていなければ、卓上の空論になってしまうというのです。結局、準備に十年の歳月をかけたことになります。一国一城の主「師範」としての出発が、四十八歳の時になったのです。志をもって、十年の準備したのですから、そうという念には念を、入れたということになりました。人生の出発の決意になったのです。若い時の、苦しい修行、孤独を全て体験したのです。この年齢で喜びと、最高の幸福の実現に向けての船出をしたということです。
準備万端という事で、自由を求め、栄光を求め、感動を求めたのです。十分な環境を造成したということなのです。このような人生の選択をしたことに、妻は理解してくれました。子供達も協力してくれたのです。準備をして行く中で、子供達が、一番頼れる道場生になってくれました。
我が子であると同時に、頼れる道場生になったのです。当時は、私と子供達が、いつも一緒でした。振り返れば、親子の絆が深く結ばれた時でもあったのです。
そうして、十年間の準備期間で、今の極真会館宮城県本部の人材の礎ができました。菅野師範、大友師範、北山事務局長、阿部指導員、石井指導員、渋谷指導員、佐々木指導員、庄司指導員、宍戸指導員、森指導員は、極真会館宮城県本部を設立する以前の創成期からの重鎮になっているのです。その後、今,現場から指導員が立ち上がっているのです。これらの重鎮に対しても、私の指導は、自分を治め、次に家族を収め、より良い家庭を生活を送らなければならないと指導してきました。人を教えるということは、自分と家庭がモデルにならなければならないと話してきたのです。極真空手を教える前に、人としての道を、徹底的に指導したのでした。それが、今の極真会館宮城県本部の基盤なのです。特に、この重鎮に指導したことが、夫婦としての生活の重要性でした。生命の絆を築き、愛を育み、子孫につなげて行くことが、大切であると指導し続けたのでした。
結果、極真会館宮城県本部では、しっかりとした、家族を大切にする指導者が、道場で教えているのです。このような内外ともに、素晴らしい道場は他に見当たらないのです。極真空手だけを教える指導者ではないのです。もっと付加価値が高く根付いている、理想とする人格像を築き上げた先生が道場で指導しているのです。名実ともに、日本一であると誇っているのです。それに続く指導者としてのハードルは、私達の道場では、高いのです。ちょっとフラフラしたならば、吹き飛んでしまうのです。家族を単位とする指導しか、私達には念頭にないのです。指導の原点がどこにあるかというならば、言うまでもなく家族ということなのです。このような、基盤を作るという事を、理想として、実践してきました。この環境で、人材育成をするという事です。今の現役では指導している先生は、誰一人として、人生の落伍者になっていないのです。絶えず前をむいているのです。最高の理想の出発点を作ってきているので、これからが楽しみなのです。最大幸福を感じることができる愛情あふれる家族道場が理想なのです。