2016年12月24日(八段語録3005)
道場の未来

今日は、クリスマスイブです。私の子供達は、友達とパーティーです。私はというならば、午前中から、榴岡市民センターで、今年最後の稽古です。それも、渡辺博先生と一緒に挨拶です。小中高と道場生が、バランスよく通ってきていました。佐々木指導員の、今年最後の稽古です。
道場生の成長を、この教室の稽古でも、確認してきました。道場生は、無限な可能性に満たされて、輝いて見えます。これからも極真の精神で、道場生一人一人が、育って行くことが出来るようにと願うばかりです。稽古で道場生が、成長して行く姿を眺めるのも心が満たされます。私は、道場生一人一人に走って行って、握手したくなりました。そのような親心にさせられます。私自身、年齢を重ね続けて今があるのです。それも、世の中に巻き込まれて、汚れてきているようにも感じるのです。この汚れを振り落としてくれるのも、道場生の元気な、姿そのものなのです。
純粋に稽古に邁進して行く姿に、身も心も洗われてしまうのです。
午後からは、師範室で沈黙です、一年の稽古で戦ってきたことの整理するのです。本来ならば、トレーニングをしなければならないのです。気持ちが乗らないので、お休みにしてしまいました。肉体管理に対しての、詰めの甘さを反省もします。言い訳ですが、過去の生活がどうであったかを振り返るのも大切であると思ったのです。一年は、あっという間でした。それにしても、様々に、肉体を鍛錬しなければならなかったのです。自らの肉体は、自らが保護しなければ、ならないということです。誰かに、手伝ってはくれないわけです。自らの肉体を管理する事に躊躇してはならないという事です。隅々まで、自身で勧告しなければならないわけです。その必要性があるのです。まだまだ現役で先頭に立たなければならないのです。
肉体の管理ばかりでなく、道場運営のスケジュール・工夫する時期に至っているのです。二十四時間あるという発想から、九時には全てを終了させるという決意です。自分自身をブラック企業のような存在にはしないという事です。
もうすこし、一日を集中して、スケジュールを立てるという事に特化しようとするのです。苦労の道は、当然と思って、過ごしてきました。それでも、高齢者になるわけですから、若者のようにはいかないのです。そこは知恵を使って、経験を生かして、縦横無尽に、戦闘を繰り返すという事です。私の前に、立ちはばかった壁は、曲折して、これからも、襲いかかって来るに違いないのです。今日私の肉体のレベルと、心の基準は高いのかという問いです。私の肉体の強靭さと、心の権威を掲げて、極真の道に邁進して行くだけです。面目を保つのです。この肉体を駆使して、残された道を、この肉体一つで乗り越えて行く覚悟は必要であるという事です。もちろん、心の権威を抱くということは忘れないようにするのです。
これから、私の覚悟は、どのような犠牲を払おうが、、揺るぎない基盤を築き上げるのです。地上に生きている時間は、限られています。この極真の基盤を消してはならないという覚悟はできているのです。そうすると、どれだけ、道場生を大切にしなければならないかということなのです。未来に育つ道場生が、宝であるということです。新しい心と体を備えて、闘いに挑むという覚悟をする日となりました。結局午後九時まで、師範室で試行錯誤です。
部屋にいること、十時間以上人もなりました。一歩も出ることなく、自問自答になりました。