2016年12月21日(八段語録3002)
道場生は私の全財産

今日も、見えない糸によって、導かれている日であります。東成田で、チラシの配布をしてきました。季節外れの暖かさです。この新規活動の、僅かな歩みが、未来の道場に繋がるのです。しっかりとしなければならないという事です。私の意思ならぬ、それ以上の力によって、行動に、選択に選択を重ねているのです。それで、一つの方向を提示されて続けています。振り返ると、恵まれて生きてきた人生になっています。この人生を、全うする事が、私自身であるという事を自覚するのです。日々の歩みの結実が、今日は、長町教室で実っていました。年末なのですが、新しい道場生の入門です。苦労という本質が、新しい道場生に実っているのです。持っている極真空手の精神を投入するのです。培った魂を、投入できる対象者を、新たに発掘したのです。今までの人生を、全てを投入できる道場生が、一人が誕生したのです。実に幸せな事です。
さて、極真空手の修行の結実として、頂点に君臨しているのです。幸せを感じるのは、当たり前な事かもしれません。極真空手の理念通りに、うまずたゆまず進んできている事をありがたく思うのです。今日というこの日を、迎えている事になっているので、感動もするのです。私の心は、道場生の未来の方向に向いています。また、今まで鍛え続けてきた肉体の全ても、道場生に向いているという事です。道場生の教育に、全ての精力を投入する事が出来るのです。常に切磋琢磨するのに私は余念がないのです。いままで、道場生を掴んで、離さなかった事が、今の宮城県本部になっています。素晴らしい人材が育成されています。
私自身、素直な気持ちで、対応して、育て続けてきた結果という事です。私利私欲を持たずに投入してきました。
ところで、人材を育成するという事は、大変な事です。思うようにはいかないものです。
指導者として、「人と違うという道」を今まで、来ました。それでも、一生懸命に投入して来たのです。人材育成の為に、あらゆるものを投入して来ました。行くべき困難な道でもあるように思えたものです。道場生は、誰もが、素晴らしく育っていると思えます。これが、自分の全財産なのです。道場生の誰からも、恩恵を受けようと思わないのです。私自身、私的に道場生を扱った事はないのです。決して、道場を運営しているのはないのです。我ならぬ、心の力に引かれて来たのです。行くまいとしても、いかざるを得ない道であったという事です。全ての道場生が、くどいようですが、私の全財産なのです。心の力に引かれて、ここまで来たという事です。これからも、怠けないように自分を奮い立たせて、道場生を育てるのです。
今日もせきたてられるように、歩んでいるのです。夜の部は、座学のセミナーです。ここでも、投入していこうとする気持ちは、半端ではないのです。時間ごとに、私には、力の衝撃が増し加わるのです。私自身、落伍する事ないように歩みます。それは、道場生の能力を最大限引き出すという事に徹すするからなのです。今日も道場生の前に、全てのものを差し出すような歩みでした。自分の人生を汚すことのないようにするのです。また道場生を誤った道に迷い込まないように努力がするのです。誠心誠意、気持ちを込めて、今日も歩んだという気持ちになります。そうしているうちに、道場の素晴らしい未来がひらけてくるという確信を持つのでした。