2016年12月19日(八段語録3000)
極真空手の追求

焦点が定まった生き方は、強く勢いがあります。しかし、座標軸を定めるのですから、範囲が狭く感じるのです。それでも、切り口がしっかりとしているし、はっきりした目標を持つという事で、充実にした生き方が出来るのです。ところ定まらぬ行脚の生き方を、若き日は送っていたのでした。定まってからというもの、迷う事なく、邁進出来る日々という事です。レールに乗った生き方は、先哲の知恵が増し加わります。また、そこから新しい創造的な発想も生まれます。そして、いかなる極真空手を追求するかという宿題も出てくるのです。
どの極真の指導者よりも、革新的な道場運営をしているのです。それは、社会に希望を与える極真空手として、胸を張る事が出来るという事にもなります。また、いかなる人物にならなければならないかということを、明確にしているのです。そして、その為に、道場で稽古をするという道筋まで、はっきりさせているのです。もちろん、「家族」という理念から、一人一人が無限大に解答を得る事が出来るという事です。
さて、極真空手を今まで、追求してきました。少なからず、社会に良き影響を与えるという道筋をつけてきました。そして、自信を持って、極真空手の素晴らしさを主張出来るのです。当然、指導員の誰もが、自信を持って、指導しているのです。これは、確固たる市民権を得ているという事です。指導員、一人一人は、私でなければならないという責任感と自信を持っているのです。もちろん、行き過ぎる事もありますが、実に頼もしいものです。
そして、極真空手の指導で、心がけている事は、社会と強調するという姿勢を貫くというところなのです。道場が掲げている目標は、個人が確立するという道であります。またしっかりと、家族が社会と繋がる道を行くのです。結果、社会に貢献するという事に繋がるのです。
このような極真空手の姿勢は、民意に一致する道、時代とともにある道、人類とともにある道という事なのです。それが、このようにして、世界的に極真空手が広がりを見で、貢献しているという事なのです。
ところで、このような極真空手を社会に認知されているのです。どのように戦略を立てて、ここまで歩んできたかという事です。全国、全世界では、様々な運営をしているのです。しかし、極真会館宮城県本部の場合、奇襲作戦を展開する事にしたのです。誰もが嫌がる、動こうとしない事から始めたのです。チラシを印刷して、一軒一軒配布するのです。無駄は承知です。それでも、五十歳にもなろうとする肉体に、鞭打ったのです。新聞のイベント欄にも、無料で乗せてもらいました。若い時の苦労は買ってもしなさいという先哲の言葉はあります。私の場合、年齢を重ねてからの修行になったのでした。まさに、自分を犠牲にして、誰一人ついてこようとしなくても、極真空手の道として、修行として、毎日戦ったのでした。
それも、誰かがサポートしてくれたのではなく、家族全員が、一丸となった歩みだったのです。極真空手の普及という事で、家族全員が、心を合わせるという素晴らしい結束をもたらした事になるのです。
結果的に、極真空手の追求は、個人の確立、家族の結束を見たのです。そして、極真会館宮城県本部として、不動の立場の確立をはたしたのです。今なお、このような姿勢は、崩していないのです。前線で、新しい道場生を募集して、道場に新しい風を巻き起こしているのです。それが、刺激的道場の蘇りを見せるのです。日々の生活は、極真精神が問われるのです。極真空手で、選挙のような一発勝負には出ないのです。その事も政治家の先生の姿勢を伺う時に、その真剣さに打たれる事が多いのです。私達の場合、地道に着実に、前進するのです。人を育てるという事は、長期間時間がかかるのです。生涯の事業なのです。促成栽培というわけにはいかないのです。時には、負けて勝つという事もあるのです。人を育てるという大事業に着したのです。それが、極真空手という切り口という座標軸に据えたのです。そして、その大事業は、未だ途上にあるのです。