2016年12月15日(八段語録2994)
妻とのデート

久しぶりに妻とデートでした。現在、生命を受けて活躍しているのです。
その生命の原動力が、妻に伝わるのです。私が一人で悩まずに、閉塞感もなく、妻に抱かれるようになっているので、束縛も、制限されていないということでしょう。この私一人の能力が、私個人にとどまらないのです。それは、いつも妻が共にいて、その影響を受け止めてくれるのです。朝早く、車で、いつもの定番の温泉日帰りコースです。もう一年近くデートがなかったのでした。泊まって一泊すれば良いのですが、経済的にも、時間的にもないのです。それでも、短い時間、秋保温泉に入浴して、疲れを癒しました。食事を一緒に取って、世間話をするわけです。それが心地よいのです。私達夫婦で話す事が、池に小石を投げ込むようなことになるわけです。話は尽きないのです。家のこと、近所のこと、子供のこと、様々話題はあるわけです。私の話、妻の話、時間が過ぎているのがわからなくなります。
そんなこんなで、日々の苦労が温泉一回で報われるのです。私達夫婦は、時間も惜しまず、日々過ごしています。何か着飾ってと言う事は全くないのです。私も目標に向かったら、目指すべき事にまっしぐら突っ込んでいきます。日々充実していると言うよりは、苦労を共にしていると言うことの表現が、似合っているのです。夫婦として、楽しいばかりの日々とは、程遠いのです。苦難と共にしているのですから、妻との関係は間違いなく、遊び友達とは違うのです。苦難の峠を越えてきた夫婦と言うことです。夫婦として、過ごしてきた日々は、一言で言うならば、苦労の連続ということです。経済的な苦労かというならば、全くかけ離れているのです。我が家には、下宿人がいるのです。そ人達のために、賄いをしているのが妻です。そして、私はというならば、極真の道場生のための生活です。
ところで、妻も私も、内容が不足しているということを、実感しているのです。そのような足らなさを、自分で補わなければならないのです。それを除去して、負っている役割を果たそうとするのですから、日々の努力は大変になります。
鼻歌を歌って、全うできるものではないということです。現実が日々待っているのです。それを踏み越えて、新しい伝統を打ち立てて行こうとするのです。能力オーバーと言われても仕方がありません。妻も、茂奈さんという息子の嫁さんが、歩調を合わせてくれるようになってきています。また、私にというならば、師範を始め、本部スタッフが、私の身代わりをしてくれているのです。不足を補ってくれる隣人ができてきているということです。その事が、実に有り難みを感じてしまいます。また、大切にしようと思うのです。
それにしても、苦労を覚悟した、私達夫婦の人生を、見守ってくださる多くの人がいるという事です。そのような意味では、苦労は報われているのかもしれません。自分達の夫婦の人生の役割を、心置きなく果たしているのです。ますます、多くの人に、心を砕く事が出来るようにと願うばかりです。できれば、培ってきた、私の能力が、妻だけに留まらず、多くの人に影響を与えていく事が出来るようにと願うばかりです。心にその望みが果たせた時に、安らぎを感じるのかもしれないと思うのです。そのような夫婦の理想が築かれるようにという事です。そして、生き続けていく事が出来るようにと、今日も一生懸命という事です。自分の最高の財産を、人のためにという事に焦点を置いている人生です。