2016年12月13日(八段語録2992)
生涯の武道としての極真空手

極真空手は、一生続けていくから武道なのです。それだけではなく、永遠に続くという意識も必要です。人生を振る帰るまでもなく、私にとって、いつしか、人生の全てが極真の道となりました。これから、他の道に踏み込むということはないのです。人生の全てであり、人生の指針になって、今があるのです。総裁が亡くなって、様々な派閥に分裂してしまいました。それでも二十数年の間、しっかりとした止まり木があったのです。それは、将来を見越したビジョンを抱いている手塚グループでした。確かに、様々な課題はあります。しかし、家族という理念は、孫末代まで永遠に続く思想なのです。その発想をさらに構築して、ここまで歩んできました。決して間違ってはいないという確信なのです。その確信通り、多くの道場生を、指導してきました。昨日入門したばかりの道場生でも、極真精神の全てを投入するのです。家族ですから、道場生を大切にする心で満ち溢れるのです。そのような姿勢なので、多くの道場生が、時を超えて、指導者に育っているのです。
もちろん、指導者の道は、険しい、断崖絶壁の難しい道程なのです。本当は、対応しなくてもいいのです。しかし、愛情があるがゆえに、指導者の研修会を開いて、指針を出しているのです。これが、参考になって、この道に羽目を外すことなく、付いてこれるというものです。決して、指導力があるから、乗り越えることができるというものではないのです。結局、心の問題なのです。最後まで修行をして行くという姿勢を、継続することができるかということに掛かってくるのです。人につまずくようでは、この道は歩み切れるものではないのです。どんなに、おかしな指導者が前を塞ごうとも、構わないのです。超えていけば良いだけなのです。優秀であればある程、気をつけなければならない試練は多いのです。そして、その試練に負けて、付いてくることができないことになっているのです。道場生の御両親にも、御子様の指導は、委ねるのです。いつまでかと問われるのです。答は一生ですと言うのです。それだけ、極真空手の指導は。人生全てに及ぶのです。
ところで、一生の間、極真空手を継続するのです。未来を見据えて、現時点を消化するという気概なのです。この道について来ようとする、道場生に対しては、指導者のとして、今まで、培ってきた全てを投入するのです。いつまでもということに対する、内容の全てを整えているのです。現在、道場はあらゆる極真空手で成長して、勝利している先輩が数多くいるのです。男性の理想像もあれば、女性の理想像もあるのです。理想とする道程を発想にしやすい道場でもあるのです。そのような先輩を眺めるのです。道場生にとって、先輩が存在しているだけで、励みになるのです。そして、先輩の指導者は、中途半端な人はいないのです。極真の道に迷いはないのです。実際に人格的にも、素晴らしいのです。指導者のとして歩んでいて、精神面。肉体面、技術面、あらゆる総合されたものが輝いているのです。
そして、後輩に惜しまずに投入するだけの、愛情に溢れているのです。
このように、無条件に後輩の指導者を、教育するという姿勢が培われているのです。
それは、この道に対する確信であり、自信があらわれているということです。指導者をとして当たり前のことであり、真実なのです。私と共に、二十数年になる指導者は、人生に誇りを持っているのです。自信の塊のようです。そして、極真空手の真髄を完全投入して、指導しているのです。まさに、武士なのです。そして、生涯の道を極真と共に歩むという信念で満たされることに、感動を受けるのです。