2016年12月13日(八段語録2991)
青少年の健全育成の一つの道

極真空手は、伝統空手とは違うます。また、スポーツ空手とも違うのです。蹴りや突きを途中で、止めることはしないのです。本当の強さを求めていく、求道の道ということになるのです。実際に相手を倒して、一本を取るという試合になるのです。つまり、精神的にも、真剣に、真実を極めた空手が、極真空手ということになるのです。稽古でも、実際に相手に当てるのです。もちろん、最近は、怪我防止の為に、サポーターを着用して、組手の練習を行うのです。当然、勝手に組手をするのではないのです。指導員の配慮のもとに、しっかりとした指導を仰ぎならが、稽古をするのです。何故、青少年の健全育成になるのかということです。それは、基本は礼節を重んじるからなのです。礼儀を正しくしなければ、組手の稽古に至るということはないのです。稽古は、挨拶から初めて、相手を尊重して組手を申し込むわけです。極真空手の優れているところは、技と礼儀が一体になっているところなのです。
実際に組手をすることによって、人の痛みを分かち合うのです。
さて、人を叩くということは、、どのようなことなのかということです。実際に叩かれてみて、分かるのです。いまの時代、ゲームで、プレーの中で人を殺すのです。それは、人と人とのコミュニケーションが取れないということもあるのです。影響を受けて、大きな殺人事件にも発展してしまうこともあるのです。極真空手は、実際に、道場生同士、刺激し合いながら高めようとするのです。稽古によって、尊敬と感謝の念を育てるのです。何故ならば、稽古の中で、相手を思いやり、相手の痛みも感じれるのです。それは、自分が痛みを、共有するからということにもなります。それだけに、人をいじめるということを、自分からするという事はなくなるのです。稽古の中にあって、自分を律するという精神が、磨かれるわけなのです。人間としてすべきことと、やってはいけないことを、稽古で持って学ぶのです。
そして、稽古の途上で、昇級があり、人間として成長していく道を、見出していこうとするのです。
ところで、道場がヤンキーの溜まり場にはならないのです。稽古そのものの障壁が高い為に、不良な気持ちで、稽古をするということなど許されるはずもないのです。そして、道場は、指導者の管理の中で運営されるのです。指導者についても、上に立てば、誰からも管理のされなくなるのです。その盲点を埋めるべく、師範が目を光らせて、指導員の様子を見極めます。それでも、管理されることが少なくなります。そこで、大切になってくることは、自己管理を徹底するということです。これは相当厳しいのです。道場では二つのことを指導しています。一つは、人を弄んで男女関係を持たないという事とです。二つは、決して人を傷つけてはいけないという事です。自分の精神を、常に健全な状態に保つようにするというのが、道場の指導になるわけです。日々の稽古は、技の繰り返しの連続ですが、そこに、自己管理と自己創造を求めていくのです。これが、極真空手の極意ということになるのです。
青少年の教育をする上で、極真空手は、一つの青少年健全教育の道です。社会では、一つの入り口かもしれませんが、道を極めてきた私にとっては、最良の教育であると思うのです。
実戦空手を通して、正しい精神態度を保つことを教えるのです。それによって、正しい人間が育つようになるのです。礼節を基本として、家族と自然を愛するという理念を持って、人を育てるのです。家族を築くことができる人間性を育てるというのが、この道場であるというのです。今まで、二十数年の時を刻んできた道場なのです。もうすでに、三千人以上の道場生を育ててきたのです。その中で、指導者のとして、成長している道場生もいるのです。
社会貢献は、宮城県本部として、青少年教育に徹して、特化しているのです。それが、私達の誇りであり、喜びでもあるのです。確かに厳しい道です。それだけに、御両親もお子さんも、大会で勝とうが負けようが、しっかり付いてきて欲しいのです。