2016年12月12日(八段語録2990)
共感と帰属意識

時々、若き日を振り返るのです。両親から、どれ程愛情を注がれていたかということが、今にして分かるのです。両親の心が分からなかったのです。不忠不孝な立場であったと、申し訳なさを痛感するのです。故郷に、極真会館宮城県本部を設立したことが転機になりました。結果的に、新しい家族を引き連れて、故郷に帰って来たのです。その事が、親孝行という穴埋めを、少しでもできるようなったのでした。青春時代は、修行の旅でした。それが、仙台に定着することができたのですから、親孝行にもなったのです。父の姿を一緒に暮らして、目に焼き付けることができました。そして、介護をして、震災から半年を過ぎて、奇しくもあの世に送るようになりました。故郷に帰って来て、親父と共に過ごした二十年の期間は、父の愛情に包まれたいました。実際に親父の築いて来た、伝統を、実生活の中で、相続したのです。一番継承したことは、コツコツと日々を目標に向かう事でした。何年も、何十年もかけて、築いていくという姿勢でした。その大いなる姿勢は、父の伝統と財産を継承したのです。全てを身についたのでした。
さて、若い時に、親を捨てて、大学も蹴飛ばして、家出を決行したのでした。何もかも、誰にも理解されないと勝手に決めつけたのでした。そして、両親を説得する勇気がなかったということでした。それでも、私の生ぬるい生き方に、革命的な変化を与えてくれたのは、素晴らしい恩師でした。それも八歳年上の、人でした。徹夜でした議論したのです。議論する中で、細胞が奮い立った思いがしたのです。決して、追随して引かれたわけでもなく、その恩師に共鳴したということでした。恩師は九州大学哲学科の卒業でした。そして、大切な自己管理という課題に対する解答を受けたのです。恩師と共に、青葉城から見下ろす太平洋につながる景色を眺めたものです。その時に、私自身に刺激的な、爆発するのではないかという理想を伝えてくれました。私は、恩師からくるロゴスの刺激を、恩師と同じように伝わって来たということです。そして、恩師の人格に共鳴し始めたということでした。自動的に人格が共鳴して、自分が掲げていた理想を以上の世界を見つめるようになったのでした。
結局、座標軸をしっかり定めたということです。恩師の影響で、四月に上京したのです。
一生修行者としての道を切り開くという覚悟を持ったのです。そこで、出向いた先は、修行の場として、講道館を選択したのです。今でも、その時のことを考えると、心が熱く共鳴するのです。この恩師は、私に取って、一生の師匠であろうと思うのです。生き方に対して、厳しいのです。そして、要求することは、世界と人類に対する貢献なのです。今でも、恩師と合うのですが、全く変わっていないのです。今でも尊敬の念は、増し加わって、新鮮なのです。それから、青春の真っただ中で、日本中を回って来ました。世界もほとんど、足を踏み入れて来たのです。その座標軸が、極真空手ということでした。この極真会館が、私の人生の切り口になったのです。もちろん、紆余曲折はありました。それでも、この世界で、八段という段位を極め、頂上に立ったのです。それは、精神的も肉体的も、目指すべき目標であったのです。
その個人で勝利したレベルを、どのように基盤を築いて、広げていくかという事が課題になっているのです。親父の姿勢通り、コツことという事は言うまでもありません。ブログも、動画も日々アップしているのです。それだけでなく、自己管理をしていくと言うテーマは今でも変わらないのです。そして、還暦を過ぎて、三年以上も経つのです。これは、個人的には、最高の権威を持っていると言う事であり、変わらない修行の勝利の礎に立脚していると思っているのです。それ故に、基盤を広げていく上で、弟子に願うことは、帰属意識を高めて、代表師範を追い越して欲しいと言う事です。中には、袂を別つ弟子もいました。道場運営の方法手段だけは、学んだようでした。しかし、帰属意識を持って、忠臣と忠孝の道を歩むべき道を、踏み外したようでした。これから、発展させようとすると、いくべき道は当然厳しいのです。それだけに、共感と帰属意識を持って、代表師範を越えて欲しいと願うばかりです。