2016年12月11日(八段語録2988)
極真の道に対する決意

極真会館宮城県本部の師範を、2001年9月10日、会長から授かりました。それまでは、極真会館道場での研修期間であったという概念です。会長に何度も直接呼ばれ、指導を受けました。思えば、様々な訓練を二十四年に渡ってしていただきました。師範になる前の、最後の役職は、仙台道場師範代という立場でした。修行期間の真っただ中、34歳で、結婚しました。三人の子供にも恵まれました。真剣勝負でした。1日が二十四時間あるという概念でした。朝は、5時から、夜は1時過ぎまで、休む時間を割いて、勝負し続けてきました。素晴らしい修行であり、訓練でした。素晴らしく訓練されてきたのです。力強くも訓練されました。全日本には、何度も出場し、闘い続けたものです。正直、大会は、怖い存在でした。
そして、勝利しようと、日々もがいたのです。それが、最高の私の実績ということでした。
そして、師範認定書という、卒業証書を頂いたのが、2001年の9月10日だったのです。
さて、次の年の春、会長をお呼びしました。暫く、経済の為に、講師をせざるを得ませんでした。それでも、極真の道を、自分で歩みたくて仕方がありませんでした。そのための準備をし始めたのでした。何も言われることなく、黙っても認められる立場の確立を目指しました。もちろん、社会という世間を料理するために、社会機構の実態を、経済学という観点から学びました。そして、大学院で修士の資格を勝ち取ったのです。そこから、師範として輝くために、どのようにすべきかということを、頭の中を去来したのです。結局到達したのは、一国一城の主人になるという選択でした。会長が、極真の主人であるならば、私が、宮城県本部として、選択したのが、宮城の師範となるという選択でした。今の時点で、東北において、代表師範という位置を得ています。日本と世界に対しては、副会長なのです。極真理論を実践し、計画を立てて、頂点を目指せました。まぐれでここまできたのではないのです。決死の覚悟の連続なのです。
ところで、極真会館の会長と共に歩み続けています。それだけに、必死な真剣勝負は続くのです。けっして、気を抜くことはないのです。日々が自己管理であり、極真頂いたのが精神は、誰にも負けないという精神です。当然、同じように師範として、社会で戦う道場生に対しては、道を開いて先頭を切っていくということです。私は、今も戦いの人生を歩んでいるのです。いい歳をして、甘んじている道場生を見ると、残念です。もう二世や後輩を育てるためです。また、はっきり、自分の極真の分野を定めるべきです。何を戦っているのかと、虚しく聞感じる時もあります。あらゆる分野に進出して、一国一城になるべきです。何を地位にしがみついているのかと落胆します。人のことはどうでもかまいません。戦わない人にはなりたくないということだけです。早く、自分の分野を見つけて、指導者になっていく道を極めましょう。
今も私は、この一瞬が危機であるとという意識で代表師範に取り組んでいます。
それにしても、総裁が亡くなってから、いい加減なことがまかり通っていると感じています。私の場合、どの団体にも所属しようとする意識はありません。手塚グループに籍を置くのは、極真の道に誓った所属の延長であるということからです。入会当時の延長なのです。最近の他の団体の動向には一切興味もなければ、かつてのその団体は、準備をするところであったと位置付ければいいだけだと思っています。ああでもない、こうでもない、ところで適当なやり方で、運営を進めていっているように思えます。そのような組織は、世界の誰も相手にしないでしょう。それは私が干渉することではないので、深入りしません。だた、私は、代表師範として、実力と、実行力を持つ指導者を目指そうとするだけです。言葉だけでなく、責任者としての実績が必要であると思っているのです。その決意の文章です。