2016年12月8日(八段語録2985)
極真精神

私の入門当時、1970年代は、極真会館の門を多くの人達が叩きました。本部道場では、二階の道場に入りきることができなく、公園や地下のトレーニングルームでの初心者の対応でした。余りにも入門生が多く、稽古時間では、捌き切れない状態でした。それから、四十数年の間、不思議なことですが、私が、極真空手を生涯の武道として、歩み続けてきたのでした。そして今、在籍しているのです。修行してきた結果を、道場生が手本とする訳です。確かに、社会から見るならば、一分野ということなのです。けっして、極真会館は、今のような社会的信用があったわけでないので、入門することは、勇気が必要でした。敢えて、狭い門のようなものでした。誰もが好んで入門するというよりは、ヤンキーのお兄さんが、不純な動機で門を叩くということが多かったのです。そして、稽古をしてみて、一目散と逃げ出す姿を目の当たりにしました。というのも、ヤンキーの溜まり場になるような道場ではなかったのです。厳しい障壁があったのです。その障壁のお陰で、私としては、何としても乗り越えていこうとする気持ちが、湧き上がったのです。
これまで、極真空手を続けると、稽古そのものが、日常になるのです。それは、ちょうど空気のようなものです。もう稽古は、普段のルーティンですから、普段意識してしているわけでもなく、なんのきなしに、継続しているのです。ところが、全速力で走ると、空気の必要性が増して、激しい呼吸になるのです。体内に最大限、なんのきなしの空気を取り込むわけです。その時に、空気がなければ、生きていくことができないほどの、切実感を実感するのです。なんのきなしに、、何の必要性も感じることがなかった空気なのです。しかし、空気がなければ、生命体を維持することができないほど、必死に空気を体内に取り組むわけです。その時、空気は絶対に、私にとって必要であるという自覚をするのです。稽古も同じことが言えるのです。普段稽古をして、何のメリットもないように思うのですが、いざ、人生の分岐点に立たされた時に、全力で走る空気の必要性が、稽古の必要性に置き換わるのです。
ところで、私の場合、人生の大半を、極真空手と共に過ごしてきました。このことゆえに、赤ん坊が母の乳を飲む方法と似るようになるのです。つまり、赤ん坊がお腹の中かで、母の乳を飲む方法を習って。生まれてくるのではないと同じなのです。自然体で、空手の事を全身全霊で受け止めているのです。とても自然に調和するのです。これまた、表現するとするならば、冬の季節が寒いという事を知って感じているのではなく、感じて知るようになっているという事です。稽古を何十年も続けているので、稽古で、あれこれを学ぼうという気持ちからくるのではないのです。稽古自体の中で、自動的に身につくようになっているのです。稽古は、結構きついのです。総本部で稽古をしていた時は、一回の稽古で2キロぐらいは、体重が落ちるのですから。凄まじい稽古であったという事です。
まさに、その事は、知ろうとして認識するのではなく、体験して、感じて知るようになるという事なのです。そのような意味では、稽古で感じる質と量が、その人の極真空手の品質になるという事です。
極真空手は、観念的な武道ではないのです。人間の五感の全てで感じて、心臓の中を突き抜けていくようなになるのです。今までの人生、この稽古の世界に住んできたのです。
振り返ることもなく、一番貴重な極真空手ということになったのです。その本質極真空手を持ち歩いているということです。肌身離さず、携帯し、極真の道から外れるとするならば、不思議に恐怖心が湧き上がるくらいなのです。もうすでに、私にとって、最高の宝物なのです。そして、極真空手を格納庫に入れているんです。その格納庫とは、当然、私の魂の中ということです。極真精神が息づいている人格として、表現することになるのです。このような蓄積によって、極真精神は、社会に現れるものと確信しているのです。