2016年12月1日(八段語録2978)
道場の未来(1)

朝七時に、東横インホテルを出発しました。久しぶりに乗るプリウスです。乗り心地は、とても良いのです。自分の気持ちに心地よく、ピッタリするクルマです。途中、友部サービスエリアで止めて、スターバックコーヒーショップで休憩です。そこで、溜まっているブログの下書きをしたのでした。克明に日々を綴るという事は、私が歩んできた内容を、後世に残すという事です。これから未来に続く、極真空手の伝統を伝えるのです。大切な事であると自覚しているのです。ブログを書き始めて、完結を一万回と、定めているのです。今まで、着実に日々を追ってきて、もう既に、今月にも三千回になるのです。富士山に登ると、仮定するならば、3合目の手前ということでしょう。私にとって、グログを描く時間は、静かな環境で、瞑想の時間になるのです。今日を振り返り、明日への準備と、エネルギーの蓄積にするのです。それと、自己管理である、日々のトレーニングは、必要に不可欠なのです。トレーニングの時間は大切なのです。
六十三歳にもなると、肉体の衰弱は、当たり前に進行して行くのです。人間、不死身ではありませんから、寿命があるのです。死は、避けて通る事は出来ないのです。それでも、自分自体での健康管理は、責任はあるのです。天命を大切にするとするならば、体調管理の、メンテナンスは必要になるのです。私の日々の体調管理の、メンテナンスが、心と体のケアなのです。それが、ブログとトレーニングということになるのです。日々が反省の連続です。
それでも、前に進まなければならないのですから、クヨクヨとしている訳にはいかないのです。自分自身を先頭に立てて、模範となる生活をすることになるのです。私が表現しようとするブログは、一時間も過ぎると、内容が纏まってきます。その内容を一挙に、パソコンに向かって打ち込むのです。この能力を身につけるのに、三十五歳からコツコツと訓練してきたのでした。それが、今では、自由にデスプレイに、筆で絵画を描くように、気持ち良く表現できるのです。それと、苦行ではありますが、トレーニングは、両輪になる訳です。
ところで、生まれて逝くが人生です。食べて寝るという、継続的人生環境において、一切の内容を含めて、ぶつけるのです。心の姿勢を整えならが、日々を歩むという事は、努力が必要になってくるのです。自分の足らなさに、自責の念を抱きながら、次に向かって逝くという作業は、必要不可欠になっているのです。日々が新しい決意を促し、自分自身を享受するのです。それは、何のためなのかという事も考えます。責任あるものとしての、道理を果たすという事なのです。道場生から、同情を望むことではないのです。道場発展の為に寄与するならば、決して滅びる事はないということを、良心が知っているのです。それだけに、再び、高速道路の南相馬サービスエリアに、車を止めて休憩所でブログを書き始めるのです。
何かを頭にうかべながら、表現し始めるのです。表現したブログを、最近は、動画にアップしているのです。実際に人格で表現すると、直接的に道場生に伝わるということからなのです。これも、二ヶ月続いていますので、最後までアップしようと思っているのです。
そして、最後の距離六十キロを、事故を起こすことなく、家路に着いたということです。
寝室では、妻との会話が続くのです。ポーランド遠征の全てを話すのです。また妻からのあらゆる家のことをきくのです。それがまた幸せな時間として、過ごしていくのでした。