2016年11月27日(八段語録2974)
極真空手は武道空手

2016年11月27日 社会が求める極真空手
極真会館は、武道空手なのです。この手塚グループに求められる願いは一体何であろうかという事を日々祈り求めるのです。世界が保護主義的になって来ています。自分だけ良ければいいという社会が目前に現わせそうです。そして、現代社会において、自由と権利を主張にすることだけを強調するだけになっているのです。これでは、ギクシャクしてくるのは当たり前のことです。そこで、自由と権利を円滑に運営するには、武士道で培ってきた、相手の為にも生きるという精神はなくてはならないという事を意識するのです。社会が荒めば荒むほど、必要な精神として光り輝くはずです。それは、社会環境に求めるというものではなく、武士道手培って、一人の人格に求められるべき事なのです。人としての質の向上は願われるという事です。この精神を養うという事が、極真の奥義なのです。そうれあれるからこそ、今まで、築き上げてきた、極真空手の伝統は、もうすでに社会的認知を受けるようになっているのです。その為にも、稽古で培ってきた道場生一人一人の自覚が必要になってくるのです。そして、自覚を持った道場生が、利他的な精神でもって、最良の人生を模索するという事が、必要になってくるのです。
今回東京オリンピックにおいて、空手が、オリンピック種目に選出されました。ルールは、伝統空手が基本になっています。極真空手の直接打撃制はとは違います。もしオリンピックで継続的に空手が参加種目となるならば、極真に近くなると思うのです。そうでなければ、正しいジャッジが出来ないという課題は克服されないのです。また、世界の人は納得しないのです。このジャンルで、世界の趨勢は、極真スタイルに近づけなければならないという一般支援が広がるのではないかという期待はあるのです。また、現在は、町道場がメインであります。しかし、いずれは学校教育に取り入れられ、国や地方公共団体に承認されるようになる事が願われるような気がします。このように、社会的認知の上に、武道として、歩み出す時に、極真空手は、将来に大きく羽ばたくのです。夢と希望が広がっていくという期待が持てるのです。私自身、草創期から極真空手に触れて、真剣に稽古に取り組んできたのです。
試練の途上においても、極真空手だけは続けてきたのです。それは、極真空手に対しての一念だけは誰にもまけないのです。どんな事情があろうとも、どんな環境に対してもなのです。世界中を巻き込んでいく勢いがあるという信念だけが支えという事です。
ところで、私自身、極真空手を愛する心が充満しているのです。そして、最強であると信じる心があったからこそ、続けることができたということです。そうでなければ、いつでも極真空手を辞めていたということです。最後まで貫いて、極真空手を慕ったからこそなのです。私の情熱が、社会的認知をもたらしているという気持ちが強いのです。極真空手は、世界に広がったのです。伝統空手とルールは事にするのです。しかし、武士道という精神に対して、揺るぎのない姿勢だけは、誰もが認めるところなのです。私は、極真空手に対する情熱は、今でも満ち溢れているのです。その原点は、人としての基本単位である、家族を大切にするというところから、始まるのです。そして、私たちが、原点に帰らなければならないことは、正しい舵取りができるリーダーにならなければならないということなのです。