2016年11月25日(八段語録2972)
手塚グループの道場生としてのあるべき態度

極真空手道は道であり、人生を極める一つの手段なのです。この道で成長をしていくならば、当然、武道家になるのです。そこで、心がけなければならないことは、何事も蹂躙してはいけないということなのです。三つ蹂躙があります。一つは、愛情を弄んではいけないということです。何人もの女性と同時に交際して、騙すようでは、女性からの恨みを受けることになります。まして、結婚して、他の女性と不倫を働くようでは、妻に対する裏切り行為ということになります。武道家として、慎むべきです。二つ目は、人を具体的にも、精神的にも、傷つけてはいけないということです。喧嘩は慎むべきです。怪我をさせるようでは、なんで空手道の道を歩んでいるか分からなくなります。それから、言葉で人を傷つけるということです。悪意で言葉を発するとなると、人は病んでしまいます。その人の為に、愛情を持って、強い言葉は許されます。しかし、悪意で語るならば、武道家として卑怯者ということになります。三つ目は、環境を大切にすべきです。私達には豊かな自然が天地の恵みとして与えられているのです。この自然を踏みにじるとしたならば、天罰があるというものです。
このような精神を徹底徹尾持つべきです。そうすることで、家族としての手塚グループが存在する事ができるというものです。このような心がけで、多くの人と交わる事ができるのです。また環境に対しても、大切にするということになります。この点を重要視する武道家としての誇りを持たなければならないのです。乱れた世の中であればある程、人権と環境を尊重する事が出来なければ、只のモンスターを作ってしまうだけという事です。そのような手塚グループのではないのです。何故ならば、私達が暮らしている家族が大切であり、地域とのコミュニティが大事なのです。もちろん、大地の恵みが、食卓を潤すのです。それ故、私達がたずさえている生活の基本を大切にしなければならないということになります。 特に、武道は心身を育てるわけですから、自己管理を通じて、自身の心身も大切にしなければならないということです。
このような立場で、極真空手を通じて、お互いが尊敬する事が出来る日々を願うのが、武道家ととして、当然の道という事なのです。ゆえに、蹂躙する心はもってのほかであります。
人々を尊重する心を度外視して、対処しようとするならば、良き結果は、決して生まれないという事なのです。それだけに、道場に於いては、指導者同士は当然尊重します。また、先輩が後輩を大切にしない風潮が現れたとするならば、それこそ、残念な事に他ならないのです。自己中心的な気持ちで、道場生に接するときに、道場生は傷つき、道場に足を運ばないようになるのです。道場生に責任を持つということは、為に生きるということであります。
大きな心を、広い心を、指導者として育てていく事に他ならないのです。さらに、指導者が、人としての道を外れるとしたならば、極真空手の修行をしていく資格はないのです。青少年の健全な育成の為に先頭に立たなければならない極真の指導者が、いい加減な気持ちで、生活してはいけないということなのです。
しかるに、極真の指導者として、誤った人々がいるとするならば、大きな心をもって、更生する事が出来る人間像を目指すのです。その為にも、さらなる自己研磨に精神を注ぎ、自らを磨き上げていかなければならないという事です。このような立場に立つ時に、極真空手を通じて、高い精神の共有がなされるのです。技が生きて、大いなる偉業を成す事ができる道場になる事ができるというものです。初めて、ここに道場としての面目が、立てる事ができるのです。私達の心に留めておかなければならないことは、人権と環境を蹂躙してはいけないということなのです。そして、一生をかけて、極真空手道を全うして欲しいということなのです。