2016年11月21日(八段語録2968)
極真会館に対する、手塚会長の姿勢

 創始者大山倍達は、極真会館を創設する時に、空手道に対する高い理想を持っておられのです。それを千葉で支え続けたのが、手塚会長でした。その理想は、今の極真会館より、遥かに高く、内容が濃いものです。その理想は、草創期より、創始者大山倍達の心の中で育てられたのです。それが、百戦錬磨の創始者と共に成長し、その心のベースの延長に、極真会館が存在しているのです。こうして、極真会館の存在は、創始者の偉業を世界に広めたのです。その基盤のうえに、極真空手道を通じての、人間完成の目的を目指したのです。
そして、その土台の上に、道場では、変わらざる創始者大山倍達の提唱があったのです。
それは、「頭は低く、目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益する」という極真精神がそれです。空手道を通じて人格の淘治と心身の鍛練をはかるのです。それが、社会貢献を遂行していくというものです。それは、道場生に対する、大いなる高い理想と期待なのです。この理想は、我々だけのものではないのです。創始者大山倍達の、心の延長のすべてが加担されて、世界中の道場生に連結された、恩恵に他ならないのです。
 この空手道を通じて極真精神が自分自身に身に着くのです。それで、充実した人生を開拓できるのです。栄光に満ち足りた人間として成長するのです。しいては、勝利者の道場生として、誰もが認めざるを得ない存在になるのです。そのような、極真精神を持った人物を作り上げていくに違いなかったのです。そこで初めて、創始者大山倍達の地上最強という偉業が、一人一人の弟子に伝達されるのです。ここに、極真精神の価値があり、本当の極真会館の人材の育成があるのであるのです。このことが、創始者大山倍達、生前の願いという事です。
 本来ならば、そのような結果をもたらすべきであったのです。しかし、当たり前に、どの団体でも創始者が亡くなると、高弟による分裂が起こるものです。それが、極真会館にも例外ではなかったのです。同じ弟子たちが、お互いに、派閥を作るなどすることが、まかり通るようになってしまったのです。まさに、本来の理想から離れた極真会館になりましたが、これも仕方がない事なのでしょう。歴史を振り返ることもなく、当たり前に勃発してきたことなのです。このような状況を見つめる天国の創始者大山倍達は、どのように見守っているのでしょうか。実に、やるせない気持ちになるのではないでしょうか。そして、その気持ちは、いかばかりか計り知れないものがあるのでしょう。そして、あの一枚岩の極真会館に対して、世間の人たちにまで、不信を抱かせる状態になっているのです。その後の、雨後の筍のように、極真以外の他流派が誕生しました。当然の事です。極真の師範に、頭を押さえつけられたのですから、下剋上が始まりました。独立心は募ったのです。この混乱とともに、今後この状態を繰り返していくという事なのです。このような、極真会館を放り投げていいわけはないという思いで、遺族派として、手塚グループは立ち上がったのです。
この団体を、家族として、大いなる本然の意義を、立てていかなければならないという会長の決意なのです。そこには、このような分裂を繰り返したくはないという気持ちが強いのでした。この極真の道において、今に思えば、創始者大山倍達と、弟子たちの意見の食い違いが現れたという事です。このような、さまよう極真会館をそのままにしてよいはずはないのです。これを見つめる創始者大山倍達は、その意図をしっかり立てているところを、保護するために立ち上がるのです。それが、極真会館手塚グループの誕生の意義であり、会長の姿勢なのです。