2016年11月16日(八段語録2963)
道場生の調和(9)

車二台に分乗し、富谷市の保育園・幼稚園の七ヶ所のパンプレット配布です。また、原町小学校の生徒に対するアプローチを、別の車で、移動したのでした。日々、何の為の道場運営をしているかという事を、意識するのです。あくまでも、極真会館宮城県本部の指導が、平和な社会に貢献するという確かな確信からなのです。武士道とは、社会貢献がなくては、何の意味があるというのでしょうか。その平和を築く人材に育てようとするのです。それも、社会の歯車としてではなく、指導者として、自覚を持って、社会に貢献するというレベルに教育をするのです。それ故に、基軸を家庭において、家を守るのです。また地域を守るのです。日本の伝統を支えてきた良き武士道の伝統を、空手修行という道で、極めるという事なのです。そのような伝統を背負って、極真会館宮城県本部の責任を持つという事ですから、重圧もあるのです。この道場では、どのように稽古をすればよいかという、勝利の方程式を、稽古と共に指導するわけです。というのも、稽古を戦場と見立ているのです。この稽古で、一生懸命に、勝利の栄光を勝ち取り、頑張ったという自信を持って、帰宅するのです。道場生は、課題も感じつつも、誇らしげな姿で道場を後にするということです。
このような稽古の継続が、年数を重ねるうちに、人格を形成するのです。人の遺伝子だけが、人生を決定するのではないのです。多くの労力はは、教育ということになるのです。その教育の、レベルを高めるということで、本人が喜び、家族と兄弟も、受け入れるようになるのです。そのような人格を磨くという姿勢は、確かに険しい人生の道かもしれません。それでも、平坦な道として捉えることができれば、どんな試練も乗り越えることが出来ます。人が、純粋に生きるということは、どのような試練にも立ち向かえる、勇気があってこそ、残された人生を従順に生きることができるというものです。
ところで、結構、私自身、恨み多い人生であったということは、否定できないのです。恨みも解かなければならない訳です。その為の修行と捉えるのもいいのかもしれません。忠孝の道理、忠臣の道理が、武士道ではあるのです。その歩みができなかった場合には、様々な心の葛藤が起こるというものです。人生において、夫婦が別れるということもあるでしょう。
親子がうまくいかないということもあるでしょう。それらの全てを、抱き抱えて、恨みを晴らさなければ、人生やっていくことに、苦しいということになってきます。そのような恨みは、解くべきなのです。 実に簡単なのです。空手修行をすることによって、強いパワーを形成し、孝行の道理を果たし、忠臣の道理をはたすということです。それが、平和の実現に至るということを教えるわけです。今日を誇り、明日を準備するものになるという結論なのです。稽古の中で疲れないように鍛練するのです。この稽古から学ぶことは、決して卑怯者になることが無いようにということです。私は、特に極真の責任者という意識を持っています。多くの人のためにという気持ちで、生命の源泉になりたいという気持ちです。
そのためにも私が率先するのです。そして、忠孝と忠臣の道理を果たすのです。道場生の行路となることができるようにという思いが強いのです。今日も過ぎてみれば、様々なことがありました。指導している先生方には、この道を歩むという自覚を、更に強めてほしいものだと願うのでした。