2016年11月15日(八段語録2962)
道場生の調和(8)

朝早く起床して、ブログの作成に勤しんでいました。静かな雰囲気の中で、文章を書くということは、とても心が落ち着きます。色々と試行錯誤しながら、極真の為に何をどのように、闘って行ったら良いかということを、頭の中で、模索しているのです。その時間が、とても幸せな時間にもなります。この上もなく厳粛になって姿勢がただされるのです。残された人生は短いだけに、発展と喜びの日々を過ごしたいというきもちになります。闘いの内容は無限大に広がりをみせます。もちろん責任を持っていかなければならないのは百も承知なのです。誰よりも、極真会館宮城県本部の為に、成し遂げようとする意欲だけはあるのです。当然、ここまで道場を引っ張ってくるにしても、誰よりも悔しい立場の戦場で闘ってきたという気持ちの方が強いのです。その闘いの中で、未だ落伍者になっていないということですから、有難いということです。マスコミによらず、自立して、極真王国を立てるということは、並大抵なことではないということでしょう。それでも、その極真王国を見たいと思うのは、真剣だからということでしょう。
さて、私自身、今も動かずにいられないのです。その為にも、責任を消化する武人であらねばならないという発想があるのです。今は、時が来ていると本気で思っているのです。ルールは違いますが、オリンピックの参加種目にもなっているのです。まだまだ、今は、実質的な基盤が、出来上がっていないということです。そこを担うことができるようにという、発想は強いのです。
そのような気持ちでいると、自分に降りかかってくるということにもなるのです。自分自身の心と体が、絶えず、新鮮にならなければならないのです。昨日の今日ではいけないということです。
代表師範として、任されている責任は、何処にあるのだろうかと模索するのです。まだまだ直角に忠誠を尽くしているとは言えないし、回り道しているようで、取り組みが、程遠いようです。そのような意味でも、自らの心を掴んで、立つことができるようにしたいということです。
ところで、今日は、青葉女子学園に行ってまいりました。女性の更生施設なのです。収容人数は少ないのですが、しっかりとした施設でした。ここは女性だけの施設ということで、三十年経過した施設なのですが、とても綺麗なのです。隅々まで掃除は行き届いて、女性の更生施設ということだけあるのでした。今日は、学園長の小山園長の講演依頼をお願いしているのです。宮城野保護司会のです及川会長と共に訪問させてもらいました。及川会長は、私と一緒の委嘱でした。
年齢は、私よりも十数年以上年齢を重ねているので、会長ということです。私の場合、保護司の年数は十六年になりますが、それでも年齢は若いのです。委嘱が若かったのです。この更生施設を訪問して、大切な人権が守られているのです。再犯をしないように、教育を徹底しているということを、うかがい知ることができました。それにもまして、武道による青少年の教育は、私たち極真会館すべきなのです。防波堤になって、犯罪者を作らないようにしなければならないという使命感を感じたものです。世の中は、光と闇、生命と死亡が共にあるのです。できる限り、光と生命のある道を歩ませてあげたいという気持ちになったのでした。生命と死亡の波がさらっていくのです。その時、死亡の審判を受けることが無いように教育を徹底したいという気持ちになります。更生施設での保護育成は、確かに必要なのです。それでも、それ以前に、極真精神で、予防できるところは、しっかり役目としてはたしていきたいと思うのでした。世の中ですから、審判の鞭は必ずあるのです。その試練を克服できる倫理・道徳を身につけさせる為にも、極真精神のでの教育は、必要であると思うのでした。