2016年11月13日(八段語録2960)
道場生の調和(6)

日曜日、快晴の一時なのですが、体調不調ということで、九時までゆっくり休みました。私の風邪の症状の基本的パターンです。喉が腫れ始めては、全体に支障をきたす場合があるので、慎重に養生したということです。それでも、母が老人会です遠刈田温泉に一泊ということで近くの駅まで送ったのです。正午には、旅館のマイクロバスで向かいに来ているということでした。母を見送ると、根白石の畑に、なるべく早くという事で向かいました。晩秋なのに、気温が高めです。そして、風もないので、農作業に適した日和ということです。白菜・大根・カブ・タマネギを植えていて、それ以外の、耕作地の、何も植えていない土地を耕すことにしました。結構、雑草が芽を出しているので、耕して、雑草を根こそぎかき回して、きれいに整地したのです。今年最後の日光浴と思って、上半身裸になって、耕運機を動かしました。結構、力仕事なのです。夕方には、つるべ落としのように、日が沈んでしまいます。東の方には、スーパームーンの一日前の六十二年に一度の、満月の月が浮かび上がっていて、とても綺麗な里山の風景になっているのでした。一生に一度の月なのかと考え深く思っていたのです。
何かを、思うのですが、自然の雄大さに圧倒されました。確かに、道場のことを考えても、地域のことも考えるのです。身代わりに何かを実行するには、不足がめだつということです。
それでも、行動すると、ちょっと勢いが好過ぎるので、全体が眠っているようにも思えるのです。ちょっと反省です。傲慢にならないようにという気持ちになります。自分に、アクションを起こして、平静さを保って、謙虚に、失望と悩みを解決しなければならないということでしょう。道場のことを心配し、地域のことも含めて、微力でありながら、日々実践しなければならないという気持ちになります。まだまだ、やらなければならないことは、無数にあるのです。道場と地域のために、日々努力をしているという姿勢は、崩したくないのです。
私が動く目的がしっかりしていますので、自覚して動くことができるようにということです。それでもって、自分が自覚している役割を完遂するようにということでしょう。
ところで、なんでも消化しなければならないのですが、なかなか思うように、前進することが難しいのです。私一人だけでは、思うようにはいかないのです。多くのスタッフ、指導員の手を借りて、進めていかなければならない課題は多いのです。この道場が暗闇に覆われることがないようという事です。すっきりした体制を整えてるのです。個人だけの責任に、止まらないようにするのです。お互い助け合うことができる体制が構築できるようにということです。それぞれの責任者が、品格をもって、指導に当たることができるようにとねがうばかりなのです。
指導者として、生命を投げ出して、助け合うようにするのです。そうすれば、より道場は発展の一途を辿るのだという信条はあるのです。そのような意見も、結局は、自分に帰ってくることなのです。分かっているのですが、誰かに責任を押し付けたくなるのも責任者の性でしょうか。このような気持ちで、帰宅です。妻から電話がかかってきて、食事の準備ができていないということでした。日曜日なので、妻としても休みたいのでしょう。心を大きくして、甘受して、ありがたく思う他はないのです。文句の一つぐらい出そうでしたが、我慢です。そのような一日を過ごしたということです。