2016年11月12日(八段語録2959)
道場生の調和(5)

昨日の雨が嘘のように晴れて、気温も高くなりました。仙台駅東口教室で、最近、後輩の面倒を見ている道場生が、顔を見せていない事で、北山事務局長が心をかけていました。ちょっと話しただけで、道場生の課題を見抜き、解決するという愛情の深さです。道場生は、大切にされただけで、自信を持って、稽古を続けるという気持になるものです。成長しようと、理想を背負って、稽古の道を踏み進む時に、色々な事にでくわすのです。よく話を聞くと、指導員からの組手で、怖かったという事です。人を大切にするということが、今回の課題であり、試練の峠ということでした。私達は、空手を伝えるということが大切だけでないのです。それ以上に人を大切にして、愛情を示すということも、重要な役割なのです。指導者が道場生に慕われなければ、極真空手の極意を伝えることはできないということです。そうでなければ、道場生が、汗が吹き出る稽古を、続けていくことなどできないのです。このように、道場生の一挙手一投足に、心を使って、愛情の作業を継承して、大切にしていきたいものです。今日は、仙台東口、錦ケ丘、幸町、そして成田の四教室での稽古です。一派一絡げということでなく、一人一人を大切に指導していきたいものです。
さて、指導者として、今日行かなければならない残された薔薇の道は行かなければならないのです。逃げることなく、運命と思って、突き進まなければならないという気持ちで過ごすのです。道場の責任者として、すべての力を結集して、あらゆるスタッフからの、勧告を受けるのです。自らに、あらゆる刺激の、衝動を課して、責任を果たして行かなければならないということを自覚するのです。日々の歩みの闘いは、何事も達成してくべきものなのです。悲壮な覚悟をして、銃剣を取って戦場に出ていくごとく、出発しなければならないであろうということを脳裏にうかぶのです。今日も戦場に、出発しなければならないでという心境なのです。道場の運営における数々の問題を、蹴散らして、進んで行かなければならないということでしょう。そのような覚悟をする私なのです。
ところで、今日も老体に鞭打って、肉体を鍛錬するのです。若い時から、まず体を動かしてから、物事を考える習性がついているのです。自分を甘やかせて、物事を考えるということはできないようです。それもそのはず、私の場合、中・高と柔道をしていたのです。試合で負けた時の悔しさは、人一倍に感じるようになっているのです。勝つと嬉しいのは誰も皆同じです。負けると、悔しさで落ち込みもはげしいのです。そんな経験をして来たものですから、稽古に余念がないというのも頷けていただけるのではないかと思うのです。頭が回らない分、体での勝負ということでしょう。それが、自分の気質に合っているようにも思えるのです。もちろん、頭脳の開拓の余地はあったと思うのですが、後の祭りです。ですから、場では勝つものとしての概念が強いのです。
日々、無理難題を自分に負荷するので、喉が腫れてきて、夕方には、帰宅したのです。
妻との会話が弾みました。いつもながら、話は、子供達のこと、両親のこと、親戚のこと、友達のこと、すぐに時間は経ってしまいます。それでも、早い時間で就寝することにしました。いつもの時間と勝手が違うので、寝つきにくかったのですが、明日への備えのために、完全就寝です。