2016年11月10日(八段語録2957)
道場生の調和(3)

道場生は、日々恥ずかしくない生き方をすることを心掛けるべきです。特に、指導者が、どのような気持ちで、日々道場生を、指導するかということが大切になります。武道家の原点は、忠孝の精神を身にまとってという気持ちが無ければならないのです。師範を支えようとすることも必要です。それにもまして、指導者同士の信頼関係は大切です。私としては、会長をどのように支えるかということを念頭に置きながら、日々道場運営をするという事です。そして、全国、全世界の師範とは、信頼関係を原点とするのです。一番意識をしていることは、長い期間、創始者と共に過ごしながら、苦労してきた会長を大切にすることです。これは、武道人としての役割であると思うのです。もちろん、宮城県本部の発展を願うのは最大限です。それ以上に、長い歳月、私達を心配してくれている指導者を大切にすべきなのです。手塚グループの存続をしっかり闘ってきた会長の事情に、合わせていくことが出来るようにと、日々を歩むのです。未来の希望を抱いて、私達を選んでくれた会長だけに、栄光の座についてもらいたいという気持ちが大きいのです。その会長は、電話を掛けると、いつも心を砕いて心配してくださるのです。
そのような会長と共に歩めるということは、感謝であることの何ものでもないのです。今日の私達が極真に存在するようになったのは、私自体の意思ではないのです。私達を受け止め続けてくださる、会長の愛情によるものであるとおもうです。今の極真会館という師範の立場に立たせていただいているのも、私の努力というものではないのです。拾って、この立場に立ててくださったということにほかならないのです。それ故に、会長の役割を身代わりとすると同時に、このグループの為に、何が出来るかということを、模索する日々でありたいということです。そのような意味でも、この会長の理念を、グループ全体に反映させる役割があるということです。
とにかく、私という存在が、副会長という立場に立たされているのです。多くの道場生から、望まれる極真会館を創造していかなければならないということを考えるのです。この存在が、社会から受け入れられるものでなければならないということです。私自身の役割が大切であるという意識に立つのです。そのような意味でも、極真会館手塚グループの副会長として、恥ずかしくない日々の生活をしていかなければならないと思うのです。それ故に、自らをさらけ出し、率直に、足らない部分は、補うことが出来るような気持ちを持たなければならないということです。今日、素直に反省したのかということです。また、どれだけ道場生のために貢献したかということです。そのよう思いを、去来する日でした。
今日も新規開拓に出かけてきました。手伝って貰える人材が、今日は、四人参加してくれたのです。長町を中心に歩んできました。そして、本部では、菅野師範を中心に会議をひらいてるのです。会議では、真剣に、明日からの未来に向けての検討をしっかりしていました。
私はというならば、日々の自分自身を酷使するのです。それが、極真会館宮城県本部の発展に繋がるという意識で過ごすのです。夕方からは、保護司会の移動研修です。蔵王町の遠刈田温泉で、仲間との会議のひと時を持ちました。なすべきことが多い一日でした。心から感謝して、明日への闘いに備えていきたいということでした。