2016年11月8日(八段語録2955)
道場生の調和(1)

 道場の発展のためには、新規から教育の流れ、指導者育成、指導者教育が願われます。さらに、指導者同士の信頼関係が必要になっていきます。そして日々、一つ一つをしっかり見つめて、取り組むという事が、大切になってくるのです。そうしなければ、道場の発展はあり得なのです。その為の日々の歩みと試行錯誤の連続という事です。この仙台市には、百万人が住んでいるのです。この市民の中で、多くの道場生を、懐に抱き得るだろうかと、日々暗中模索するのです。もちろん、色々な武道があります。あらゆるスポーツもあります。その中で、極真空手を選択してくれるように努力するのも、私の役割という事です。この極真を選択してくれた道場生に、対して、私の闘いがあるのです。道場生に対して、人生という長い歳月を、極真という道で、自らを生かすために、日々の努力があるという事です。今日、ここで稽古する道場生に対して、道場生の気持ちを掴み、道を開いてあげることが出来るようにという事です。満足する人生を行くのも、哀れな人生を歩むのも、指導者の熱心な愛情が、影響しているという自覚をするのです。その入り口が私という自覚をするのです。
 とりあえず、道場の発展に関しては一進一退なのです。もどかしくもありますが、仕方がありません。地味な闘いの連続の日々という事です。今日は、富谷市成田の小学校へ出かけてきました。入門者の連絡が入って、少し遅れ気味に到着でした。もう小学生が校門を出ていました。すぐにチラシを配って、それなりに配布することが出来ました。極真空手の何たるかを、道場に足を運んでもらわなければ、分かってもらう事ができないという事があります。その為に、責任者が、第一線に立つという事は、当たり前なのかもしれません。道場生が極真の門を叩く前に、まだ見ぬ道場生に対する、愛情の表し方の一つという事です。そうして、その中で一人でも、入門してもらうとするならば、ただただ、その一人の道場生を大切にする思いに心はいっぱいになるという事です。
 ところで、私自身、道場生に表すものは、この道だけという事です。ただ極真空手道という道を示すだけなのです。それでも道場生が、この極真を歩むという事に価値を置いてもらうのです。そして、真剣に歩めるように道を、切り開かなければならないという事です。この役割を演じて行く為に、途中で口惜しい事が、あってはならないという事です。この闘いで倒れる訳にはいかないのです。私自身極真を裏切る事などできないのです。その為にも、先頭を切って前進する事が使命という事です。その闘いで、弱弱しくはなれないのです。どんな試練でも落胆の境地で、あきらめる訳にはいかないという事です。道場発展の為に、足らない自分であるという事は百も承知なのです。それでも、この道先鋒に立って、最前線の勇士にならなければならないという覚悟をするのです。そうすると、この日も自分の体を考えないようにするのです。また自分を中心に考えないようにしているのです。ただただ極真を思う気持ちでいっぱいにしたいという事です。
 残された道に、責任を負うようにしなければならないという事も、自覚すべきという事です。自分自身だけの目的を、追求する立場に立たず、極真発展だけに、目的意識をもって、追求するようにしなければならないという事です。この道場の発展だけに、力を注ぐことが出来るように開拓したいという事です。この姿勢が、道場の発展につながって欲しいという事です。