2016年11月5日(八段語録2952)
道場の調和(8)

 日々、僅かばかりの歩みをしています。一進一退を繰り返し、まだまだ道場の運命を自覚が足らないようです。日々武道の何たるかの使命を完遂しなければならないという思いになります。NHKの放送で、剣道の全国大会が武道館でありました。福岡と神奈川の警察署の決勝戦でした。実に見応えがありました。そして、うらやましくも、剣道という武道を、教育機関や、公務員が支えているという事です。極真空手の場合、一般大衆とともに、一般の人達を対象に、今の基盤を築いてきました。実践空手というジャンルは始まったばかりで、剣道連盟のような歴史は無いのです。それ故に、初期開拓時代から、極真を歩んでいる私のような存在が、若い責任者として出発しているのです。そして、極真を守っていかなければならないというのが現状なのです。ある意味で極真一世という事でしょう。歴史が短いだけに、未来に向かってやりがいがあるという事です。今の私の立場は、何の縛りも無いのです。
極真にとって、過去を振り返るのは、そんなに重要ではないのです。未来だけが、輝いているという事でしょう。そして、これから続く、私に続く指導者が、歴史を作っていくという事です。そのような運命を辿らなければならないという自覚しているのです。
 さて、創始者が亡くなってから、特に、このような使命を感じているのです。世界の道場生の前に、越えるべき峠が残されているという事です。極真という新しい分野で世に衝撃を与えてきました、できるだけ荒削りの部分を修正する闘いは残っているのです。不変な極真という武道を展開するためにも、越えるべきこれからの運命が残っているという事です。この時代に、私達だけしか表すことが、出来ない武士道というものがあるはずです。剣道の武道館における大会も素晴らしいものがありました。それだけにそれ以上の、真剣勝負の武道の道を示したいと思うのです。剣道の試合を見ていると、一瞬の隙で、勝敗が決まるのです。
極真空手の場合はどうかというならば、日々稽古をしてきたことが、肉体の限りを尽くして勝敗を決します。その内容を試合で現そうとすると、より命がけの武道のように現れるのです。そこには、観衆も固唾を呑んで見守るようになるのです。
 ところで、今日の私は、その極真を、世に示していくという、大切な役割を担っているという事です。現代社会に対して、投げかける武道精神が極真には、あるという事です。伝播して、広げていく役割があるという事です。今日まで実践してきた極真空手は、見せて誇れるものという内容のものです。それだけに、自らの姿勢を日々正すという作業の必要性に迫られます。そして、自らを覚醒しなければならない日々という事です。今、私が持っている、極真に対する観念と主張、主義を尊厳あるまでに高めていくという事です。という事は、「私」という存在が、完全を求めようとしなくては、本性的な自分を、回復して完全性を求めようとはしなくなるのです。私自身の日々の闘いを、このような原点に置きながら、前に進めていくという事です。日々後戻りしてはならないという気持ちにもなります。一日の生活、そして一生の生活を通じて、道場生に恥じない歩みができればという気持ちにもなります。このような気持ちを、道場生に反映することが出来るようにという気持ちです。とにかく、伝統はすでに立っているのです。それを守り発展させるのが、私に課せられた責任という事です。
 そんなことを考ええながら、前進しようとする一日でした。