2016年11月1日(八段語録2948)
道場の調和(4)
人を生かすことは、実に大変な事です。現場を担当する指導者が、能力を発揮する組織を形成しようとするのが、私の役割です。人はあらゆることで、悩み苦しみます。それを解放するのも私の役割という事でしょう。極真会館宮城県本部が素晴らしい、理念と目標を掲げているのです。それ故に、誰もが喜ぶような所にならなければならないという事です。そのような中心的座標軸にならなければならないと思うのです。考えることが出来ないようでは、責任者失格という事です。そして、その意識改革を抱いている、次の後継者の育成もしなければならないという事です。指導者たるもの、自分だけの幸福を求めていては、破綻してしまいます。極真会館宮城県本部においても同じことが言えるのです。特に、指導者同士の、心情蹂躙問題が横行するようでは、組織がギクシャクしてしまいます。道場生を指導する前に、調和と融合の指導者同士の関係を吟味しなければならないという事です。
さて、この指導者がお互いに尊敬し、思いやるとするならば、あらゆる問題を収拾することが出来るというものです。確かに、入門した時期も動機も違います。それでも、指導者としてこの役割を担おうとするならば、極真の役軍として、集ったという意識は持ってもらいたいものです。そして、お互いの課題を乗り越えて、たとえ頼もしい姿を備えられなかったとしても、真摯でありながらも互いに尊敬することが出来るようにしたいものです。もちろんもどかしさはあると思いますが、どちらも恨みの土台を残すことが無いようにしたいものです。そのような意識をお互い記憶して、指導にあたってもらいたいものです。何故ならば、この極真の未来の姿に責任を持つ一人一人であるからなのです。そして、そして、理想の極真をお互いに心に誓って約束すべきという事です。
ところで、この極真がどのように判定されるかは、私が願った理念が、スタッフや指導者、そして道場生によって決定されるという事です。各々指導者自ら役割の使命を果たすのに不足無いようにと願うばかりです。今でも試合に勝って優勝者を出すことで、道場の広告塔にしようとしている団体もあります。その事は、否定するものではないのですが、もっと人としての価値ある評価をしたいものです。決して道場生を増やすための広告塔ではないのです。優勝者としての誇りを自覚するのです。そして、自分の能力を高め、社会貢献していくという事を決して忘れてはいけないという事です。私が考える内容は、修行の段階において、勝利のレベルを収め、次の段階にステップアップしていくという事です。修行の道は、しっかり示されているのです。先輩達がしっかり踏みしめているのです。もちろん、落伍してしまった先輩もいます。その先輩からも反面教師として学べるはずです。そのような意味でも、先輩は、途上の修行状況を、後輩に伝えるという立場でもあるのです。
私自身、八段としてこのブログを表現しています。それ以上の精神レベルを持った人であるならば、その人の素晴らしさを学ぼうとする姿勢です。この八段が最終段階とは思わないのです。それよりも、今は向上心で一杯なのです。まだ運営においても、この宮城県本部において、三千名の実質基盤を作っていくという夢があります。まだまだ使命半ばという事でしょう。