2016年10月31日(八段語録2947)
道場の調和(3)

 正しい事が通らない、社会環境であることを痛感するのです。特に会社組織の中で生きるという事は、自分を主張することが、出来なくなることが多いのです。一生懸命に頑張ってきた人が、組織の中で埋もれて、その評価も時の幹部によってされないというのです。ある会社組織で頑張っていた人が、その組織の幹部達の力量不足ゆえに、その人を守る環境を備えることが出来ず、路頭に迷わせるという現実があるのです。指導者は立派でも、それを支える幹部が内容無く全く話にならないという事です。私服を肥やし、自分の事だけしか考えないような幹部であり続けるということでしょう。そして、上にはゴマをすりながら、自分の保身に徹するという事です。そのような組織は「滅びてしまえ」という事でしょう。成熟していない組織だけに、誰も組織に頼ろうとは思わなくなるという事です。結局、自立して、新たに組織を形成して、自分の正しいと思う事を貫くという人材が現れてくるという事は当然の結果ということです。
 さて、そんなこと考えながら、極真会館宮城県本部の、一国一城の主として立っている私がすべきことは、守るべきスタッフと指導員、そして道場生がいるという事です。決して一人の迷える子羊を出さないという事です。極真の道を正しく歩めるように、スタッフと共に、熟慮して、組織を大きくする前に、一人一人を大切にするという大前提を忘れることが無いようにという事です。苦労しているスタッフ、苦労している指導員、その汗と涙を代表師範の私が、心に抱くことが出来るようにという事です。それが指導者としての私に染みついていなければ、責任者失格なのです。人知れずにスタッフと指導員、そして道場生を慈しむ心を育てたいと言う思いを究めていこうとするのです。本気で極真精神を道場生に伝授し、後世に伝えようとするスタッフ、指導員に対する愛情は限りなく広いのです。そうすることで、数多くの子供達を愛情で包んで、しっかりとした人生を極真精神でもって歩んでいけるというものです。その事ゆえに、私が守らなければ、誰が守るのかという事です。
 ところで、今日、私の恩師を仙台駅で待ち合わせをしたのです。私にとって、指導者としてのあらゆる内容を教授して下さった人物なのです。寛容で、何でも自由に育ててくださったという思い出で満たされてしまいます。その恩師とは、三十数年の歳月をして、再会できたのです。恩師は、開拓者の中の開拓者であり、私欲を全く持たずに物事に対処する人なのです。お会いして、今までの生き様を聞かされて、私は「開拓の王」として尊敬してしまいました。しかし、そのような方を大切にしない組織の汚点を知りました。とんでもない組織という事です。長老の苦言は聞く耳を持つべきです。その組織の願いがあったとしても、一人の長老の意見も聞けず、守る事ができないようではどうしようもないという事です。 可哀そうな組織という事でしょう。そんな組織はいずれ影も形も無くなってしまいます。
面目ない組織は、要らないのです。どうして誇る事ができる組織でしょうか。私自身組織に所属することは、嫌いです。それでも極真会館宮城県本部という組織を立ち上げた以上、私が願っている理想の絆を結べる組織にしたいという気持ちになります。道場生の誰もが誇れる組織にしていきたいという覚悟が生まれました。