2016年10月30日(八段語録2946)
道場の調和(2)

 日曜日、黙々とトレーニングしていました。ウエイトエリアに鏡があって、そこで、突きと蹴りを続けていたのです。ジムのスタッフが来て、ウエイト場なので、そのような動きは困るという事でした。ちょっとイラっとしましたが、謙虚に、バーベルを両手に持って、筋力トレーニングに切り替えて自主トレーニングに励みました。借りている立場なので、弱いものです。それでも、重りを背負って、肉体の管理です。本気にトレーニングを重ねているので、ちょっと目立ちます。それも、極真の未来を背負っているという気持ちですので、中途半端の遊びのトレーニングとは違うようです。確かに健康管理という一面はありますが、それ以上に、極真の運命を背負っているという気持ちが強く表れているという事です。現実は、三千名の基盤を作っていくという具体的な戦略なのですが、理想は、世界に多くの影響を与えていこうとするのです。日本と世界を相手に、日々気持ちは闘っているという事です。
 さて、いつもながら、理想は高いのです。日々前進しようとする逞しい心と、道場生を思う慈愛の眼差しなのです。毎日が追求につぐ追求なのです。成さなければならない極真の道と信じての突撃を繰り返すのです。それだけに、要らぬ苦痛を受けて立つという事です。困難さも真正面から突き進むという有様です。今日も責任感を持って闘うという事です。極真という実践空手の最前線に立って、何とも成し遂げることが出来ていない事に、悲観することなく、前を向くという事です。別にこの空手道を普及させなければ、世界が滅びるという事でもないのですが、それでも真剣なのです。切迫感がないのに、切迫した気持ちを持つという事は、大変な事です。ある程度の基盤ができたのだから、それで満足したら済むのではないかと思う事もあります。しかし、そう思うと、この道を自分らしく、「全力投入することで、全うせよ」と新たなる自分の良心が叫ぶのです。そのような葛藤を重ねながら、日々前進という事です。
 ところで、私が倒れたとしても、盤石な基盤を整えてきているのです。それでも、道場生が困難に、ぶつかる前に、私がまず私が困難にぶつからなければならず、あらゆる試練を越えなければならないと、自分に言い聞かせるのです。何事にも混乱した社会環境であるだけに、極真で道場生を訓練したいという思いが強いという事です。何事も先駆けようとするのです。極真の道も八段まで昇りつめてきました。先に私が歩んだ道を、道場生に行けという事です。誰がどう思うとも、八段まで昇りつめてみると、最高の自信と誇りと豊かな気持ちの境地が待ち構えていました。それだけに、責任をもって、突入すべきであると思うのです。
自分自身に言い聞かせていることは、ぶつかって壊れて倒れる者になることなくという事です。ぶつかるたびごとに、極真の究極の境地を悟って、しっかりと道場生を先に歩んだ道に結び付けることが出来るようにという思いが強いという事です。
 トレーニングジムで、スタッフの横やりが入りましたが、それでも、世界を背負ってく極真であるという自覚のもと、黙々と修行に励むのです。いつもながら、汗を流しながら、将来のビジョンを心に描きながら、見果てぬ夢を追い求めようとする自分が存在しているのです。今日も横やりはありましたが、それでも充実した日曜でした。