2016年10月28日(八段語録2944)
勝利の道(28)

 人が道を究めるという事は、大変な労力をかけるという事です。途中で何度辞めたいと思ったことでしょう。どのような事を将来するのかという事を、必死になる青年時代でもありますが挫折も多いのです。自分の姿を自分が望むことを天意として、従わせようとするのです。しかし、試行錯誤の毎日が続いたものです。そして、道を決めて歩むにしても、不足だけが目立って、途中で挫折しそうになるのです。私自身、そのような気持ちを抱きながら、内容の無さに落胆する日々が続いたものです。事由も多くあり、多趣味な私にとっても、一つの道に最終的に決定したのも、四十歳を超えてからという事でした。それ程までに、時をかけて、手探りで,日々を過ごしたという事です。
若き日は、ありとあらゆる経験してきました。お金と女性には全く縁がありませんでしたが。ある意味では、極真空手は、自己管理の手段としか思っていなかった節もあるのです。もっと極真空手よりも、大きな大義があるはずであろうという思いが強かったのです。あらゆることに対して、反論の旗を高く掲げていたのです。自分の不足な事を棚に上げていました。何事も失敗しては、できない理由を拾い集めて防御の領域を広げてきたというのも事実のなのです。それでも、道場に通いながら、夜も昼もなく、何かに夢中になって、自分自身に前進命令を出して、闘っていた日々でもありました。
 そして、見えてたのが、あらゆる経験を土台として、青少年の極真空手における指導・教育という分野という事に決定したのです。その為の基本的な学問も学びました。教育原理を初めに、あらゆる教育理論を学び、教育委員会が出す教職の免許も取得したのです。肉体を最高のレベルまで磨き上げ、教育理論を必死に学び、教壇にも立ったのでした。それでも、それでは満足することが出来ず、極真の指導者として師範代として仙台道場での指導が始まったのです。若い時代に、蓄積した極真空手の神髄を指導するにあたり、次の世代に私が培った伝統を残すべき道を行こうと決めたのでした。それでも、迷いはありました。大学院に通って、税理士試験の税法の免除を受けるために前期博士課程への道を歩んだものです。
それから会計の免除も意識して、闘った日々がありました。
 結局、しっかり瞑想を繰り返す中で、自分の方向性を極真空手の教育者という道への特化を試みたわけです。このように自分の行くべき人生に対しても、決定していても、身もだえするのです。そのような若い時の動きが、暗中模索というのでしょうか。結果的に、極真の指導者を選択したのです。未来像の力の源泉を、教育に軸を置くという事にしたのです。そうすることによって、天の力が共にある事を知りました。決意して、師範代として歩む時には、暴風雨と台風が吹き暴れてきたのです。その風霜の中で堂々と残ったという事でしょう。
勝者の姿として初め、初めて顕現したのが、四十八歳の時でした。この年齢で師範という立場を確立したのでした。
そのような立場を確立してみると、絶望ではなく希望が近づくのを知るようになりました。そうして師範として立ってみると、一つの生命でも一人の指導者としてでも、強く雄々しくありたいという気持ちを抱いたものです。そうして正しい伝統を立て、未来において恥ずかしくない歩みを目指したという事です。そうしているうちに、自らの力量に従う権威の価値的代価を残したいと思うようになっていったのです。今も極真を守り、激励し、教え、導くことに専念しているのです。そんな気持ちで歩んでいるゆえに、恵まれました。今日の千順さんは、愛情に溢れていました。有難い事です。