2016年10月26日(八段語録2942)
勝利の道(26)

 広島に出かけて行った疲れが、今頃ピークです。広島は二十代後半に三年間修業をしていたので縁は深いのです。そして、私の妻の千順さんは広島北広島町の八幡の出身です。さらに、三年間極真会館広島支部の森周治師範にお世話になっていました。その時のライバルが田原敬三氏でした。もう他界してしまいましたが、ウイリーウイリアムとの死闘を繰り広げて、勝利した男でした。そこで一緒に稽古をして、汗を流した思い出が、今でも鮮明に思い出に、残っているのです。広島の時に地方大会で準優勝することによって、全日本オープントーナメントの参加への足掛かりになったのでした。この頃、苦労の末に有段者になっていました。それだけに、自分に厳しくという意識が強かったようでした。
それから、道場での稽古の補強のつもりで、スポーツジムに通ったのもこの頃なのです。広島新幹線南口の「スパ広島」で、スポーツジムの裾分でしたので、入会金が三十数万でした。更に月会費が、一万円で、更に利用するごとに八百円が加算されたのです。小遣いの全ての投入でした。この時、珍しい機械のマシーンで筋肉を作ったのでした。またプールを利用して、蹴りとパンチを歩きながら、水中でトレーニングしたのでした。独り身であったという事と、稽古に集中していたという事で、何でも空手に投入するという勢いだったのでした。そして、広島が、自己の成長を試みた成熟期のように思えたのでした。 
さて、この頃、共にトレーニングをしていた田原敬三氏の活躍が、私の心に火をつけてくれました。選手生活の始まりでした。理想を、稽古に連結させることによって、自己を極真の世界に顕現させようと試みるに至ったのです。選手生活をするという事で、日々緊張する生活になりました。決して自分に甘えることの無いようにするという事です。内容を身に着けるという気持ちが大きかったのです。決して自分を偽る事がないようにという気持ちで、稽古に励んだことを思い浮かべます。自分自身の人間像を、確立・収拾するためにも、今まで稽古をしてきた労苦を思い浮かべたのです。世界を舞台としている極真の世界の前で、自分自身を表現しようとしたのでした。もちろん、人間関係より研ぎ澄まさせて、人を動かすという事もしていました。それだけに、人が活動してくれるのは、責任者の自己管理が一番大切であるという気持ちを持ったのもこの頃でした。
 そんな思いに浸って、疲れを癒して、今日も頑張ろうという事です。十月末なのに、気温も日差しも強い一日なりました。夏に戻ったような天候です。気持ちを引き締めて、全面的な前進を重ねようとするのです。疲れても、誰もが嫌がり、タッチしようとは思わない、最前線に立とうとするのです。道場の根っこは、何かと探るのです。今まで築いてきた私が歩んだ極真の伝統を見せてあげて、歩んできた実例を証明するのです。その次には、世界を指導してきた実績でもって、行動してきた状況を表現するのです。そのような事を思いながら、最前線で、道場生が全員一丸となって心を築き上げる道場に昇格しようとしてるのです。 そのようにしながら、道場の足跡を残そうとするのです。
そのような心で疲れ切って、我が家に帰ってきました。妻の千順さんも疲れているようで、家庭が癒しの場にはならなかった日でした。そんなこともあると思って、早々に寝室に入ったのです。たまには、夫婦はうまくはいかないものです。そのような、癒されない気持ちですから、寝ていても疲れはぬぐい切れませんでした。それでも一日という事です。今日は疲れが取れない日でした。